2017年11月1日水曜日

情緒と解像度


音楽を聴きながら歩いていると目に映る景色がミュージックビデオに見えてくる、みたいな文章をどこかで見かけて至言だなと思ったことを思い出した(たぶん元はこれ)。

散歩ミュージックビデオ化ソングが自分の中にも何曲かあって、それを聴きながら歩いていると見える景色が情緒的なものに見えてきて、勝手にその景色に引き込まれ感情を持っていかれることがある。歩道橋を渡り見下ろした国道、オフィスビルの明かり、駅のホームのベンチで身を寄せ合う人々、改札前で何度も振り返り手を振る人、駅前広場の喫煙所とストリートライブ、コンビニエンスストアで買った350mlの缶ビール、BPM 83に合わせた歩く速度…と、きのこ帝国のクロノスタシスなんてわかりやすいけどまさに散歩ミュージックビデオ化ソングだと思う。
あと、個人的には今なかなか情緒的な街に住んでいるので、仕事帰り最寄り駅に降りて何かしらの音楽を聴きながら歩いていると、自ずと上述したようなシーンと人々が目に入ってきて、ミュージックビデオ的な風景が出来上がってくるのでおもしろい。

すこし話は変わるけど、情緒的な街に住んでいるため、特に夜なんかは飲んだ帰りのすこしほろ酔った人々の会話が耳に入ることがあって、それが人間味があってなんとも言えない良さを感じたりする。耳にした瞬間これは良い会話と思うのだけど、すぐ忘れちゃうことが多いのが残念。辛うじてよく覚えているのは、フリースタイルラップが流行り出したころに若い男性2人組が「『母親』と来たら『うやむや』で返すんだよ」というフリースタイル語録を共有しあっていた様子とか、オシャレをした女性2人の「本当あいつ超最悪だったんだよね、でもスイーツは最高だった」っていう感想とか。なんか良くないですか。人間ってかわいいなって思った。

昔何かの記事で「世界の解像度を上げる」というフレーズがあったけど、音楽を聴きながら世界がミュージックビデオみたいに見えるとか、街の風景や人々の様子にいとおしさを感じたりするのは、解像度をすこし上げてみた結果なんだろうなと思う。仰々しい映画や小説に触れずとも、身近には大なり小なり様々なドラマが溢れている。それって、すてきなことや~ん