2012年3月31日土曜日

卒業。現在無職。

ジャンクフードと、ピッチャーに注がれた甘ったるいカシオレと、箸が散らばっているような大学生活は、
本当にくだらないけれど、もう二度と訪れることはなく、今後味わうこともないだろう貴重な時間だったのでしょうか。

先日、大学を卒業しました。
学位記を受け取ってしまった後は、もはや大学生ではないらしく、
入社式もこれからなので、まだ社会人でもない。
なにやら私は今、正式には無職、ということのようです。

とはいえ、もう貴重な無職の日々もあとわずか。
来週からはいよいよ社会人。いわゆるサラリーマン。OL、ではないと思う。
ちょー緊張するし不安です。おえー。
でも楽しみでわくわくしちゃう感じもします。
不安とわくわく、どちらが大きいかと言われると、自分でもよくわかりません。
でもどちらも正直な気持ちとして存在するのは、確かです。


卒業式を終えて、大学生活のことをいろいろ思い出し、物思いに耽ったりしました。
正直今よりも、昔はよかったなーって思うことばかりです。
昔のほうが、若者らしくたくさんの人と時間を共有したし、たくさんのことにチャレンジしたし、
本当に大事な人たちと、アホらしくて濃い体験をしていた。
毎日が忙しくてバタバタしていて、でも楽しくて充実していて大切な日々だった。

いつの間にか、自分の将来に向けて目の前の現実を受け止めなければならなくなって、
考えることばかりに集中して、感じることが減ってしまったかもしれない。
論理的な理屈で自分を定義して、何かと他人と比べることばかりに一生懸命になった。
そうしてだんだん、感情を置き去りにして冷めた目でしか物事を見られなくなった気がする。

(くだらないこと:凍ったビールの立体的な泡)

昔はあんまり考える暇がなかったくらいに、
いつもいろんな感情に振り回されながらも、
本気でしあわせだーたのしーって思う時間があったから、
理屈や比較など妙な技を使わずとも、
感じるままに物事を受け入れて、より人間らしく生き物らしかった。
そんな自分の野生児時代を思い出すと、
うわーって恥ずかしい気持ちもしつつ、
今のプライドの塊みたいに気取った自分に比べりゃ、
よっぽど愛嬌があっておもしろい味があったなあ、と寂しく思うのです。

でも、こういう自分はこれから刺激的であろう毎日の中で、
どうにか直していきたいところ。
名前のわりに、全然素直じゃないので、ぜめてそこのところどうにかしたいわけであります。
このままじゃ、名乗れなくなります。


しかし、昔はよかったなーって思う時は、
たぶん昔のままの環境が自分には物足りないとか、
ふさわしくないものになったから、というのもあると思います。
そんな時こそ実は、むきむき成長中であり、
新しい環境に飛び込むべきタイミングなのでは、
という考え方はナンセンスで偉そうでポジティブすぎるイタイ感じかしら。あわわ


「なんでこんなに、周囲のテンポについていけないんだろー。
前まで一緒だった生きるスピードが、今じゃ全然違ってしまったのかなあ」
そんな風に、なんとも今の環境に虚無感を覚えるのは、
自分や周囲に落ち度があるとか、そういう話じゃなくて、
単純に環境を買えるべき転機が着ている、ということなのではという仮定。
この仮定が正しいか、答えがわかるのはまた数年後でしょう。

(くだらないこと:跳躍力)


いつまでも全く同じ自分ではいられないと思います。
もちろん自分の芯となるものはあるにしても。
言ってもまだこんな若造なので、すべてに完璧な一貫性はありません。
あの時こうしたいって思ったことも、少しすればやっぱこっちだ、って思ったりするはず。
楽しかった日々や、つまらなくなった日々が、自分のすべてだと思ってしまいたくない。
これまでの経験の中だけで、自分の枠を決めてそれに縛られるのはもったいない。
変わっていく自分にフットワーク軽く対応しまして、
新しい自分の新しい生かし方を、貪欲に探し続けるのが人生ってもんなのですかね。

そんなことを言いながら、きっとまた少し経ってこの文章を読むと、
何いってんだか馬鹿やろうが、と思う気がします。
それでも、そういうものだから、いいのです。
せいぜい昔の自分を恥ずかしがりながら、
懐かしみ羨ましく思えたら、案外しあわせかもしれません。


卒業と入社の狭間に、そんなことを思いました。


かしこ。

2012年3月17日土曜日

最近の関心ごとをただつらつらと。



最近、ほんとうただの日記になっていたので、
そろそろちゃんと、インターネットのことについて、今思うことをいろいろまとめておこうと思います。



●オウンドメディアがカギになりそう。
参考:
「オウンドメディアをきちんと作る - SNSと企業の一歩進んだ付き合い方講座」

「オウンドメディアマーケティング」

「Facebookページのリニューアルで改めて考える『Facebook依存のリスク』」

ソーシャルメディアとかそのあたりの事情やらを掘り下げるようになり半年ほどですが、そんな分際ですが思うに、「なんでもソーシャルメディアでやろうとする」という風潮は、やっぱりあるよなあ、と感じます。
なんでか?って想像して思ったのは、とりあえず人がいっぱいいるから、たくさんの人にメッセージを届けられて、コンバージョンもあげられると思ったから。そして世間の流行、だから。

もちろん一概には言えない(このセリフ最近の口癖かもしれない)し、ソーシャルメディアを使う目的(消費者の声を知る、関係を深める、トラフィックを集める、プロモーションのため、などなど)を、しっかり考えて取り組んでいる人もたくさんいると思う。でも、私の感覚ですが、そこまで目的もしっかり考えずに利益とか売上とか即効性のある魔法のツールのような気分で「とりあえず」「過剰に期待して」使っているところって多いんじゃないかなあ。

かくいう私も、偉そうなこと言えるほどソーシャルメディアを理解できてないのですが、素人なりに思うのは、やっぱり「ソーシャルメディアは誰かとコミュニケーションするための役割が何より大きいよな」と思う次第です。そんなの当たり前じゃって話かもしれませんが、Facebookページのタイムライン化があったということからも、改めてそう思ったのです。

すぐに結果が出る目先にある欲求みたいなものは、ソーシャルメディアでは満たせない。
結局、普段の人付き合いのように、まわりくどいことをして徒に時間をかけて、時に感情を露わに本気で向き合っていかないといけないのではないでしょうか。
効率のいい、万能なマーケティングって、ソーシャルメディアでは無謀な気がしています。

ちゃんとブランディングしてファンを魅了していこうとするならば、
自前で自分のコントロールが効く舞台を用意して、
そこで独自のコンテンツを試行錯誤しながらつくりあげて、
自分たちらしさを存分に出して、それをお客さんにじっくり知ってもらう方がいい。
Facebookとか、よく仕様変更してるから、その度にそれに合わせて方法変えていくのも、なんだかイタチごっこになってしまうような…。

ソーシャルメディアは導線作りやコミュニケーションのきっかけ作りとか、そういう意味では非常に重要です。けれど、本当に注力すべきは、ソーシャルメディアがもたらしてくれたきっかけを自前のオウンドメディアで存分に生かしていくことだと思います。


●自前でたのしいサイトってなんだろ。
ってことで思いつくものを上げてみます。

『ほぼ日刊イトイ新聞』

言わずと知れた、インターネットメディア。
コンテンツのつくりかたから、ECサイトのあり方としても、あるべき姿を体現しているサイトなんじゃないかな、と個人的に思っています。ほぼ日のすてきなところは、欠点とか知っておいてほしいことを正直に伝えた上で、それでもいいから頼ってみよう・試してみよう、と思える安心感なんじゃないかなあ。企業のポリシーとかモノを売り買いする時の注意書きとか考える時、ほぼ日の姿勢はぜひ見習いたいところです。


『北欧、暮らしの道具店』
株式会社クラシコムによる北欧雑貨のECサイト。代表の青木耕平さんの「効率化だけではない!中小~中堅ECサイトの成果を上げる「メディア編集力」とは」というスライドには、すてきな衝撃を受けました。会社でBRUTUSの「今日の糸井重里」を課題図書にしたり、ほぼ日から影響を受けている点もいろいろあるようです。こういうECサイトっていいよな~と、本当に素直に感じられます。

『東京R不動産』
東京のちょっと変わった物件を独自のセレクトで展開してる「東京R不動産」。他の不動産屋には絶対にないここにしかない情報、ここに来れば何かいい部屋があるはず、コンセプトとセンスが信頼できるからここで選びたい、というようなコトを見事に体現したサイトです。オウンドメディアやブランドのあり方として、とても学ぶべきところが多いです。ああ、リノベーションしたい。


●結局「じぶん次第」なのかなあ、と。
誰にでも使える万能薬、みたいな方法論を考えたりつくったりするのって、とても難しいと感じます。私は個人的に、なんでも最後は自分次第で自分で考えてやるしかないでしょ、って思ったりします。とはいえ、そう言っては世の中に向けてなにかつくったりモノを売ったりする意味がなくなってしまう。範囲の狭い広いはあるにせよ、人はふたりでも100人でも100万人でも、思いを同じくする人を見つけて一緒になにかやったりしなけりゃ生きてられないものだとも思っています。だから仲間つくって仕事したりするのですかね。たぶん。

FacebookやTwitterのような、本当に万人が使うようなサービスは存在します。でもそれは特殊。また同時にこういうソーシャルメディアは万能であるからこそ、その使い方は個人次第、というように中でも細分化したり、方向があちこち分かれたりするんだと思います。
そういう時こそ、ひとりひとりの人間力ってものが重要です。万能なものがあるところでこそ、自分の頭で考えて、自分の理論で何でも試して行動しなければいけないと考えています。FacebookやTwitter、もっと言えばインターネットという万人にチャンスがある舞台を与えてもらったら、その先どう活用しチャンスを活かすかはじぶん次第。どんなに優れたステージでも、ストーリーを生かすか殺すかは、そこに立つじぶんたち次第。

だれかの成功論は、わたしの成功論にはなりません。だれかのやり方に踊らされずに、じぶんのやり方を考えて考えてやり始めた人が、抜きん出た存在になれるんじゃないかと。そうして自前の独自の方法を形作っているのが、「ほぼ日」とか「北欧、暮らしの道具店」とか「東京R不動産」なんだと思います。


●ネットとかそのあたりと、自分について。
いろいろ考えてみたりはしますが、結局なにが正解かとか全然わかりませんし、こんなこと考えている意味すらあるのか疑わしいです。でも、こういうこと考えるときは時間も忘れて熱中してしまいます。なんやかんや、たのしいんだろうなと思えます。

インターネットが昔からとてもすきでした。
でもインターネットのすきになれないところ、しぬほどあります。
インターネットの世界なんぞくそくらえ、とか思ったりします。
だけどなぜか私はいつもインターネットをおもしろがっていて、
時間を忘れるほど熱中したことの数少ない例のひとつです。
そんな複雑な乙女心みたいなものを寄せるインターネットに
これから関わっていけることは、うれしいんです。うそじゃないです、ほんとです。



あーよくしゃべった。
相変わらず話を端的にまとめられないところ、どうにかしたいです。

かしこ

2012年3月15日木曜日

あ、引越しました。

そう、引っ越したのです。思いの外、苦戦しました。
部屋が散らかると、こころもあたまも散らかるものですね。
写真は引っ越す前、近くのスターバックスでこころを落ち着けた時。
うーん。今思い返しても、かなり立地の良いところに住んでいたものだ、まったく。

新しい家は、以前住んでいたところとそう遠くはないのだけれど、
ずいぶん閑静な住宅街になりまして、小さい子供たちがわあわあ言っているような場所です。
スターバックスなんぞ家から徒歩20分圏です。とおい。
最寄りのコンビニだって、徒歩10分くらい。あらら。
前と比べたら不便っちゃー不便。
というか、むしろ実家なんか駅まで徒歩50分だったし
それこそ駅周辺にスタバもマックも何もなかったわけだし、
なに東京暮らし気取って、贅沢に調子こいてんだじぶんハゲ、という具合に
前が便利すぎたんだなと反省しました。


で、無印良品も以前は徒歩5分だったのが、自転車10分になってしまったことの負け惜しみとして、
今の家に越してして思った、「いい暮らし」というものを、たらたらと綴ってみようと思います。
まだ住み始めて1週間もしてないですが、
案外わるくはないかもな、と感じたのは負け惜しみかもしれませんが嘘でもありませんよう。



『あそぶ場所と暮らす場所の住み分け。』
前は土日ともなればわざわざ人が遊びに来るような場所に家がありました。
そのため家にいても、ふと思いついたように買い物したり誰かと飲みに行ったりしたものです。
スタバでもタリーズでも日高屋でもなんでもありました。
そりゃ何だか家にいちゃもったいないような気がいつもして、
無駄にどこか出かけようとしては、毎日「おでかけ」するように暮らしていました。

とても楽しかったです。
けれども、「じっくりと暮らしを味わう」ということができていなかったように思います。
外に出れば魅力的なモノゴトがあふれていて、見渡せばすてきなヒトだらけで、
いろんな憧れを一気に吸収しては、じぶんも背伸びしてふさわしいような町民を気取っていました。

すると、あらためて「落ち着いてじっくり時を過ごす」ことがほとんどできなくて、
そんなことをしているのが無駄なように思えてしまって、
何だかいつも心が忙しなかったです。

今、でかけるにもある程度時間と労力が必要で、
一度でかけたら、すぐに家に戻ることはできない、と考えたら、
「でかけるならいったん家でやるべきことをじっくり済ませてからにしよう」と思うわけです。
すると、今までは「あとで帰ったらすぐやる」と言いつつ後回しにしてきたことを
きちんとやる時間を、自然と取るようになりました。

たとえばブログ書いたり、本を読んだり、やり残した仕事をしたり、手帳を開いてみたり。
買いっぱなしだったお香やアロマを焚くとか、
借りっぱなしだったビートルズを改めて聴くとか、
積ん読の本や雑誌を手にしたり、
ゆっくりPCであそんでみたり、
手紙を書いたり、撮り溜めた写真を整理したり。

そんな何気ない暮らしのひとコマが、なんだかとても気持ちを穏やかにしてくれますな。
なんで今まで気付かなかったんだろう、というような、
芯からほっこりする時間の使い方を、あらためて知ったように思います。

どうやら私はオサレカフェでお茶をしていても、
ほんとうの意味で心を落ち着けられない質のようです。
おしゃれなところは自分に不釣り合いな感じがしてあわあわするし、
一杯600円のコーヒーを飲むには、まだ歳相応じゃないかな、とか。


この引越しをとおして、
そんな、自分という人間と改めてじっくり向き合い、
地に足の付いた暮らし、ってものを、
もう一度、発掘していく良い機会になったかもしれませぬ。
なんて思ったよ、てへぺろ。


かしこ

2012年3月3日土曜日

パスタ屋をやめました。


我が青春の舞台、パスタ屋のお仕事を2月いっぱいで引退いたしました。
3年半でした。自分らしくいられる、数少ない場所でした。
やめてしまってからは、何だか生活にぽっかり穴が空いたような気持ちがしています。

忘れないうちに、あのパスタ屋と、自分と、あの時と今の気持ちを書き留めておこうと思います。
長いです。そして自己満足の愛を叫びます。どうかご勘弁を。