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2015年6月14日日曜日

CHICAGOでジーンズを選ぶ彼女

きれいな外国人の女性が、CHICAGO(古着屋)でジーンズを吟味していた。

白に近いブロンドをぎゅっと上にまとめ上げた潔いヘアスタイルで、
黒いタンクトップから細くて白い腕がしゅっと伸びている。
バレリーナみたいな華奢なスタイルで、ガボっとした古着のジーンズを試着し、
鏡の前に立ちながら、あらゆる角度からサイズ感やロールアップした裾の長さを
真剣にチェックしている姿に、思わず見惚れてしまった。

あの色と質感とサイズ、彼女だからこそ履きこなせるジーンズだなーと、羨望の眼差しを向けつつ
自分は自分で、この日のお目当てである、グラミチのハーフパンツが無いかと店内をうろついた。
5年くらい前にこの店で、今もなお気に入って履き続けているグラミチを買ったので、
今回も良いものがあるかも、と期待して行ってみたのだ。

が、結局良い感じのものはなかった。
お目当ては見つからなかったけど、これが古着屋の醍醐味ってものだと、
妙な満足感と納得感を胸に抱きつつ、出口へと向かった。

そしたら例のきれいな外国人の彼女、例のジーンズに納得がいったようで、
レジでお会計を済ませていた。よかったね。


「自分に似合うものをよくわかっていること」
年を重ねるごとに、この重要度が増していく気がした。

流行しているもの、人から好まれるもの、年相応と言われるものを
正確に身に着けたからと言って、
きっとあの、古着のジーンズを履きこなす彼女のような美しさは再現できない。

自分に似合うものをよくわかっている人は、
年齢や国、時代をも越えて、いつもカッコいいし、
いつになっても飽きなくて最高なんだと思う。
そして、オイラもそういう風になりたいなと、思ったわけですよ。


かしこ。

2015年5月23日土曜日

ジャックパーセルを買った

もはや定番スニーカーの代表格、コンバース・ジャックパーセル(白)を先日買った。

ずっと履いてたコンバースのスキッドグリップ(白)が
車道の油がまじったような泥水がはねてダルメシアン柄になってしまったので、
思い切って新しい白スニーカー買おうと思い、購入した次第です。

ジャックパーセルといえば、ニルヴァーナのカート・コバーンが愛用していたことでも有名で、
グランジファッションには欠かせないアイテムだったりするそうだ。
なんていう状況も、カート・コバーンにとっては非常に不本意なことなのかもしれないけど。

(参考: カートコバーンの遺書を詠む)



(これはジャックパーセル履いてないっぽい)


カート・コバーンの話じゃないけど、
「少数派」とか「オルタナティブ」であるからこそカッコよくて価値があったものが、
みんなに憧れられて、大量に消費されるようになったことで、
いつの間にか少数派ではなくメインストリームとなり、
何だかダサいもののような気がして困惑する、ということは現代ではよくあることだと思う。
前にもそんなようなことをブログに書いた。

だから皮肉なことに、他には無い独特の個性に自己を見出そうとしたのに、その点で既に突出していたカリスマモデルをみんながみんな真似するようになるもんで、結局同じようなニット帽にニューバランスのスニーカーを着こなす女子が大量に街中を闊歩するようになるという。
―シティボーイ&ガールが街へ歩き出す

これ1年以上前に書いた話だけど、
今見事に「POPEYE(笑)」、「シティボーイ(笑)」、「ニューバランス(笑)」だもんなあ。

少数派でイケてたものが大衆化すると、
「(笑)」が付いて周囲から冷やかされちゃうもんだから、
現代は何とも冷酷な時代だ。
好きなものも素直に好きだと公言できないのは非常に生き辛い。


ただ、ジャックパーセルをはじめコンバースのALL STARやVANSのERAなどは、
もはや単なる流行ではなく定番の域に達しているのではなかろうか。
誰でも気軽に手に入れられるし持っている人もたくさんいるけど、
「かぶるのも当たり前だわな」くらいの気持ちで細かいことは気にせず、
わりと履きやすいスニーカーだと個人的に思っている。

っていう気分で、あんまり気にせずにジャックパーセルを買ったんだけど、
とはいえ今もきっと「あ、ジャックパーセル(笑)」とか冷やかされることも無くはないんだろうな。
でもそんなのキリがないし、好きなものは好きなんじゃボケ、って話なので、
肝を据えて自分が好きな物事を楽しむのが精神衛生上良さそうです。
「(笑)」をつけたがる輩は放っておくに限る。


しかし私も典型的な現代人ゆえ、「(笑)」の冷やかしには日々びくびくしながら生きているし、
全然かっこつかないけど、こういう社会もじっくり見渡してみるとなんだか滑稽ですな。


かしこ。

2015年3月21日土曜日

ZUCCaの話

昔のブログを読み返していた。高校3年~大学頃のもの。

新しい人間関係築かなきゃいけないのが億劫、という理由でずっと塾というものには通いたくなくて、DMの漫画がおもしろいことで有名な進研ゼミ一本で大学受験に挑んだ頃に始まり、晴れて志望校に合格して東京一人暮らしをスタートしてからの日々が綴られていた。読んでみた感想は、意外とちゃんと自炊してたんだな、というのと、好きなものも全然変わってないな、というもの。

ZUCCaというファッションブランドが昔から好きだった。そのことがブログにも何度か書いてあって、あーこの頃から好きだったっけ、と懐かしい気持ちになった。


ZUCCaとの出会いは大学受験期間中。新宿を拠点に2週間ほど東京に滞在していたんだけど、当時新宿の小田急百貨店にZUCCaがありまして(たぶん今はもう無い)。試験の合間に、たまたま立ち寄ったZUUCaで目にした、どシンプルな長財布に心奪われた私は、「合格したらこの財布を買って、おしゃれ東京生活はじめるんだ」と心に決めていた。
そして本命大学の試験の日、前日に謎の腹痛と吐き気に見舞われホテルのトイレで失神するなどしつつも、なんとか無事に最後の試験を終えた。試験後に大学まで迎えに来てくれた母と一緒に、雨で冷えた体を温めようと入った近くのモスバーガーは、お腹を空かせた大学帰り、ZUCCaの長財布片手によく通う場所となった。


慌ただしく始まった東京一人暮らし、そして大学生活。新しい人間関係を築くのが億劫な自分が、誰一人知り合いがいない中でどうにか友人を作り、それなりに愉快に楽しく大学生活を送っていたのは奇跡的だし、単純に運が良かったなと思っている。

そんな大学時代から今もずっとつけている指輪がある。これもZUCCaのものだ。かつて大切な人にもらった、とかいう素敵なエピソードは全くなく、普通に自分で買ったのだけど。
ZUCCaのロゴが刻まれた、少しゴツい見た目のこの指輪を買ったのは、新しい生活環境に少なからずストレスを感じていた大学入学当初。始めたばかりのバイトでは、これまで関わったことのないタイプの、強面でイケイケの店員に怒られるばかりで、毎日吐きそうだった。受験中とまではいかないが、わりと鬱々としていた時だったので、なんとか自分を奮い立たせるべく、近所の東急にあるZUCCaを冷やかしに行った時、わりと手ごろな値段で指輪が売っていた。買わない理由はなかった。


以来、毎日ずっと身につけている。あなたといえばこの指輪だね、と言われるくらいに、一心同体と化している。夏は毎度、指輪焼けができた。でもはずさないから気にしなかった。自分で言うのもなんだが、「かっこいい指輪だね」と、褒められたことも多々あったんだぞ。
どうでもいい話なのだけど、昔かの有名少女漫画NANAを8巻くらいまで読んだことがあって。その1巻目で、確か主人公の奈々が初めてナナと出会った時、ナナがつけていたVivienne Westwoodの指輪を見て、「年季が入っててかっこいいなー」とか言うシーンがあった。自分のボロボロのZUCCaの指輪もそんな感じに見えたのかも、と謎の満足感に浸ったりしたもしていた。懐かしい。


そんな感じで、大学時代は大した経験も才能も無いくせに、変に背伸びしたりお洒落ぶったり、月並みにウェイウェイ調子乗ったりしてたわけですが、自分では月並みはイヤだと思っていたから、大学の卒業式は袴を着たくなくて、ZUCCaのワンピースを着ていった。入学前に買った長財布と同じ、真っ黒いやつを。そして入社前には、新しくCABANE de ZUCCaの時計を買って、毎日つけていた(使い込み過ぎたので、今は少し休ませている)。


という具合でここ7年間は、毎日何かしらZUCCaがある生活を送っている。7年前から今でもよく身につけているのはボロボロの指輪。特別なセンスや才能や経験がなくても、長い間変わらず好きなものがあるというのはちょっとした自信になるし。身につけると元気になれるものがある、というのは良いものだ。これは完全な自己満足でしかないのだけど。



「中学生男子みたいな財布ですね」とか、「ゴツい指輪だな」とか、「もっとカラフルな恰好したらいいのに」とか言われたこともあるけど、まあそれが全部っていうわけじゃないから、どうかお見逃しください。


以上、好きなものの話でした。

かしこ。

2015年2月1日日曜日

IF I WERE A BOY (Sumally Collections)

昔から、「男のこだわり」みたいな感覚に憧れがありました。
物が良くて、使い心地も良い、スタンダードなアイテムを長く愛用したり、
遊び心と究極のシンプルさ、コレクター精神をもってして軽やかに人生を謳歌する。

そんな「男のこだわり」への憧れを抱きつつ、
日々せっせとSumally上にコレクションしてきたアイテムを、気の赴くままにピックアップしてみる。
個人的には、女の子が身につけていても全然アリだと思う。

●OUTER


Folk  NIX JACKET NAVY



●TOPS


SAINT JAMES  OUESSANT "SOLID"



●BOTTOMS


stick and bindle



●SHOES


adidas  Stan Smith (2014)



●SOX


FALKE  RUN LR SOCKS



●HAT


Men's Hat(Beard Head)



●WATCH


TIMEX, J.CREW  vintage field army watch



●BAG


FILSON RED LABEL  Cycling Pack


●KITCHEN


釜浅商店  釜浅の鉄打ち出しフライパン



●OUTDOOR


DIY Camping Or Picnic Stove  DIY Camping Or Picnic Stove



●COFFEE TIME


フィランド木製カップKukusaL2穴KU5



●MUSIC


Carhartt x Innervisions  Turntable Slipmat



●INTERIOR


Jonathan Kemnitzer  SKATE BENCH No.1



●FOOD


目玉焼き丼



▼Respect for



Sumally、楽しすぎます。

かしこ。

2014年2月8日土曜日

シティボーイ&ガールが街へ歩き出す

ずっと書こうと思っていたテーマ。
シティボーイの興隆と、シティガールの台頭。

POPEYEという雑誌を皮切りに、シティボーイ・ファッションについては以前より注目をしておりました。

シティボーイの興隆


男性のファッションとして、「シティ、都会的な」というカテゴリは過去にもあったと思うけど、ここ数年で再び注目され、今になり改めて普及し一般化してきたと思います。
パリやロンドン、ニューヨークのストリートスナップをそのまま持ってきたような、スタンダードかつ、男のこだわりがしつこいくらいに散りばめられたそのスタイル。「すきなものはすき」という頑固な大人の男のセンスが、これでもかというくらいに主張され、ある意味突き抜けすぎていて、日本の街じゃちょっと浮いちゃうくらいの、洒落たファッションだ。

とはいえ、今の御時世、流行やひと目を気にするのではなく、とことん自分のすきなものを貫くのがカッコイイ、という風潮が盛り上がっているわけで。
そういう時代だからこそ、今あらためてシティ・ファッションは受け入れられているのかもしれない。

かくいう私も、「シティボーイ」という言葉を目にすれば思わず足を止め箸を置いたりしちゃうんですが。
そのきっかけは2年ほど前、「この冬はこれを買え」という旬のトレンドを叩きこんでくるような雑誌を読むことがダルくなっていた頃。大学の時は毎月買い込んでいたファッション誌をほとんど買うことが無くなった時に、流行ではなく、「モノの良さ」「スタンダード」「趣味とマニアック」など、ある意味自己満足な世界で、すきなものに囲まれてフフンと我に酔いしれるシティボーイたちのライフスタイルに、驚き、あこがれ、新しい人生の楽しみ方を知ってしまったような衝撃を受けたのであります。

雑誌と疎遠になっていたのが一転、POPEYEを筆頭に、自分の世界を彩る趣味と暮らしの雑誌を読み漁る生活が、今再びやってきているところです。


雑誌はいつだって、その時代を表しているのかもしれません。
もしくは時代の移り変わりをいち早く察知して、新たなコンセプトと共に新たな時代を提案しているのかもしれません。
そういう意味では、今の時代を理解するのに雑誌はとても良い教科書です。
―奇抜裏原CUTiE世代が、POPEYE購読を機に雑誌を語る


以前のブログでこう書いてたけど、1年以上経った今、この考えはたぶんそう間違ってなかったかな、と思っています。今のところ。

モテたい・褒められたい、を基準に選ばれていたファッションは、今やもうダサくて、オタクであることや、何かをこじらせていることは恥じるべきことでは無くなってきた。SNSのような自己発信ツールが充実した時代の中では、むしろそういった好きなものや自意識を積極的に公言していくことこそ、逆にカッコイイし、ブレてない、という一種のステータスとなっているのかもしれません。

そういう時代を踏まえた的確なコンセプトとして、今あらためてシティボーイが見直されていて、それを提案する雑誌のひとつがPOPEYEなのかと。


シティガールの台頭



そんなPOPEYEが定着させたシティボーイ・ファッションは、男性の中だけにとどまりません。今年に入り特に感じるのが、「シティガールの台頭」です。

女性こそ、いかに男ウケするか!モテるか!みたいなのが長いこと論争されてきたわけだけど、もうそういうのダサいよ、という流れになってきているのは、下記の記事でも指摘されています。かつこの記事に100以上のはてブがついていることからも、現代において「モテ」を語ることに疑問を投げかける言説が盛り上がってきていることは、それなりに顕著なのではないかと思います。

参考:そろそろ「モテ」とか言ってる女子はヤバい | None.

(蛇足:しかし「女子力」とか「モテ」って言葉も、女性自身から「胡散臭い、うざい」と一方的に否定的な言われ方をするようになっていて、これもどうかと思うんですが、その話は長くなるのでまた今度。)


最近になって女性のファッションも、モテとかフェミニンとか気にせず、「自分がほんとうにすきなものを周りの目など気にせず貫くことが本当の魅力」みたいな視点で語られるようになってきた。そういう世界では、「女子の型にはまらない」、「人と違った独特のオーラを持つ」ということがステータスになっていて、これはシティボーイの兆候と同じだと思います。

が、それも行き過ぎると、昨今よく耳にするようになった「オヤジ女子」とか、「甘いカクテルじゃなくてビールや焼酎飲むんです私」みたいな型に自らハマろうとして、ちょっと本末転倒な現象が起こったりもするんですけどね。

(蛇足:内容こそ違うけど、これ完全に一昔前の「自称天然系」とか「サバサバ女子」と同じことですよね。このへんも長くなりそうなのでまた今度。)


その一方で、女の子はいつでも、ファッションモデルのような「あこがれの女の子」を自分の中で設定していて、その子を参考にファッションやライフスタイルを磨くことに余念がなかったりします。「〇〇ちゃんに雰囲気似てるよね~」と、あこがれのあの子に自分が似ていると言われることに、この上ない喜びを感じたり。
具体的な対象として、自分が目指すべきスタイルがあるので、ライフスタイルにおいて「他人を基準にする」ことの動機が、男性と比較してより顕著な部分はあるように思います。

だから皮肉なことに、他には無い独特の個性に自己を見出そうとしたのに、その点で既に突出していたカリスマモデルをみんながみんな真似するようになるもんで、結局同じようなニット帽にニューバランスのスニーカーを着こなす女子が大量に街中を闊歩するようになるという。

(あれ、でもこれ男性でも同じなのかな?)


シティガール&ボーイの葛藤と希望

「自分は他とは違う」という理想は、何故かいつも、どうあがいたって幻想になってしまうし、周りからどう見られるか、ってのは表向きでは気にしないフリはできても内心どうしたって考えちゃう。

でも、もしみんながみんな「自分は他とは違うし、他人にどう思われようと知らないわ」なんて思ってたら、それはそれで寂しいもんです。みんな同じ社会にいるのに、互いに無関心でいる、なんて悲しいじゃないですか。
で、実際はそうじゃないからこの世には、味わい深い人間模様やくだらない交流が生まれて、ダサくて情けなくても何だか笑えるし、明日も生きようかな、って前向けたりするんじゃないかな、と思うのですけどね。


そうしてファッションでも聴く音楽でも読む本でも、「独自の個性」を追求しながらいろいろ試行錯誤して突っ張ってみたりする中で、同じSupremeのキャップにニューバランスのスニーカーを履いた相手と出くわしてしまったら、互いに顔を見合わせて、「あっ、かぶっちゃったね、へへ」とはにかみながら、「今度、友達がやってる代々木のカレー屋に一緒に行こうよ」と言えた時こそ、本当の楽しさと愛しさと幸福さがやってくると、わりと真剣に思っていたりする。



と、そんな感じでだいぶ大きな話になってしまいましたが、
シティボーイに関する考察としては、以下の記事がおもしろく、参考になりましたよー。




あと数年後、森ガールでもなく山ガールでもなくシティガールでもなく、どんな新しい「ガール」が誕生していくのかも、楽しみですな。


かしこ。

2013年9月24日火曜日

香りは自己満足と相性


この春より私は、雑貨屋の香りのする女でした。

否、雑貨屋で買ったオードトワレを使っていた、
というだけの話でした、調子乗りましたごめんなさい。


さて。春から使っていた雑貨屋の香り(イメージ)のオードトワレが終わったので、
また別の雑貨屋で新たにオードトワレ買ってきました。
MADE IN ITALY。イタリア製というだけで、やたら高級感溢れますね。
さらに、「WHITE TEA」という明確な香りの名称があるので、
もう雑貨屋の香りというあやふやな表現をせずに済みます。

(ホワイトティー、いわゆる白茶は、中国茶の一種で、夏バテに効くらしい。よく香水やアロマにも使われたりするようです。)


肌につけてしばらくたつと、こっくりとしたエキゾチックな甘みのある香りになります。
以前使っていたCK beにすこし通じるものがあって、気に入りました。


*


何らかの香りを身にまとうということは、他人に向けて香らせたい、というのも然り、
常に自分の好きな香り包まれて癒やされたい、という側面が個人的には強いと思っています。

で、香りというものは、かなり好き嫌いも別れるし、
本当に合わないものは具合悪くなるくらい影響力強いです。

自分にとっては良い匂いでも、相手にとっては好みじゃなかったり、
見た目は美味しそうだけど、香りがダメで食べられなかったり等々。
と考えると、ある場所に居たり、食べたり、人付き合いをしたりといった暮らしの中では、
香りの相性っていうのは、けっこう重要なのかもしれません。

そういえば、香りから連想される人のイメージっていうのもけっこう大きいものです。
街中でとある香水の香りがすると、「あ、あの人の香りだ」とか思ったり、
香りをかぐだけで、その人をリアルに思い起こせたり、身近に感じさせられます。
高校の頃、憧れの先輩と同じ香水を買う友達とかいたけど、まさにそういうことなんだろうな、と。



香りひとつで、嬉しい気持ちにもなるし、気持ち悪くもなる。
どうせだったら、嬉しい気持ちでいたいので、
何かしらお気に入りの香りを身につけることで、常時セルフアロマテラピーを施し、
この世知辛い世の中を生き延びていきたい、と思った次第でございます。



かしこ

2013年3月31日日曜日

プロローグ:雑貨屋の香りのする女


小中一緒だった、ませた女友達がいましてさ。
お姉ちゃんが二人いる子だったから、やっぱりどこか大人びていたのですよね。
私は彼女から化粧とか、おめかしの類を学びました。
ヘアトリートメントはあれが良い、とか、アイシャドーはあそこのがカワイイ、とか。

おしゃれ心が目覚めるお年頃。愛読書はセブンティーン。
鈴木えみと榮倉奈々、そして木村カエラが読者モデルだった頃の、セブンティーン。
カナヘイと一人称「ウチ」とアヒル口が流行っていた2000年代初期。
中学生の私は、少ないお小遣いを握りしめ、
マジョリカマジョルカとマシェリを買いに、ドラッグストアへと走ったものです。

ある日、PARCOがあるという理由で地元では大都会とされていた某街へ
その友達と一緒に買い物に行った日がありました。中学生の時。
「今日は香水買おうと思ってるんだ」
彼女は言いました。

そうして、前々から目星をつけていたと手に取った香水は
うろ覚えだけれど、確かD&Gのライトブルーだったように思います。
翌週学校で、「さっそく付けてみた。あんまりばれないように、ちょっとだけだけど」と
上品に微笑んだ彼女は、23歳になった今、ますます美しくなっています。



(使い切ったCK be。結婚式でいただいた花で彩りを添えるという猪口才なことをした図)
(奥に見え隠れするのは伯父のお下がりDiorのDune Pour Homme。ほとんど使っていない)


思えば彼女から受けた影響はすごかった。
姉のいない私にとって、身近なおしゃれのお手本は、ライトブルーの彼女でした。
で、私も香水ってものを初めて手に入れました。確か中学3年くらい。
伯父が出張で行くという、台湾かどこかでは香水が安く買えるから
何か欲しい香水あったら買っておくよ、と言ってくれたものだから、
いろんな香水を嗅ぎまくって、決めたのがCK be。

今聞くと、ザ・メンズ香水なのですね、CK beさん。
ヨン様が使ってるだとか、EXILEの誰かが愛用だとか、
なんと男前な逸品を選んだのでしょう、15才のあたくし。
でも、そういう世間体に擦れていない純粋無垢な15才の感性が選んだのだから
素直な選択だったのだと思います。長いことこれ一本でした。

もしかしたらこれまでずっと、
「おっさんの香りするなこいつ」と思われていたかもしれないと思うと
私の中の15才の乙女心がしゅんとしてしまうわけですが。


そんなCK beも、最近使い切ったので、気分転換に何か他のフレグランス的なものを、
と思って買ったのが、なにかしらのオードトワレ。雑貨屋に売ってたもの。
ブランドはよくわからんけど、フランスのものらしい。
オードトワレなので、香水よりもほのかに楽しむものだと思います。

かくして手に入れたオードトワレは、CK beとはうってかわって、
なかなか女性らしいかほりでございますわよ。
もうおっさんの香りとは言わせないわよ。(被害妄想)

でもそのうち、あのこっくりとしたCK beの香りも恋しくなってしまうんだろうな。
とりあえず、しばらくは雑貨屋の香りのする女として生きていきます。
はあ、我ながらちょー痛々しいです。あいたたた。



かしこ



2013年2月17日日曜日

学祭ライブで鼻血を出した00年代高校生が見たかもしれない景色



タイトルはつまり私ですけれど。

それは2006年とかそのくらいの時のこと。体育館で開催された学祭の前夜祭ライブ。
軽音楽部の高校生バンドマンたちが奏でる、ELLEGARDENとかDragonAshとかORANGE RANGEを聴いてうおーってなってたんですけれど、なにせみっちりと人の詰まった体育館の中、活きの良い高校生たちが放つ熱気はものすごいもんで。たぶん、周囲と自分自身の双方から放たれるむんむんとした熱気に、私の鼻の中の血管は耐えられなかったみたいでした。

今までの人生史上最大級の出血量でした。
鼻血に殺されるかと思った、ほんとうに。

しかしそれもまた、あの頃の青春を色濃く思い起こさせる良き思い出です。
そんな00年代高校生ならではの文化って、
今思うと意外とおもしろい気がするので、ちょっと勝手に、超主観的に、
いろいろ振り返ってみようかと思います。
かつての女子高生のが見た、世代や地方、校風独特のカルチャー臭って、
客観的に見るとなかなか愉快ですぞ。


学生生活

  • プリクラ。変顔文化。その写りの良さ故に涙をのんだ男子も多かったことでしょう。
  • サブバッグはショップバッグ。LOWRYS FARMは鉄板。ちょっと背伸びするとBEAMSになる。
  • 便所サンダルみたいな上履き。油性マジックで落書き。〇〇同盟とか書く。
  • 生徒会はイケてる。文化祭実行委員は特に。
  • 落語研究会(通称オチケン)もイケてる。もはや落語・漫才やってなくてもイケてる人は男女共に所属してる。もちろん全校集会で毎度ネタやる面白い人もいる(野球部と兼部してる人多い)。どっちにしろイケてる集団。
  • 仲良しグループで携帯のホームページを作る。コンテンツは日記とか写メ、掲示板。
  • コンビニで買う紙パックジュース1000mlストロー付き
  • リプトンの紙パック500ml。キャンペーンシールを大量に集めてコレクションにする。
  • 参考書とか入れるプラスチックのキャリーケース。好きなバンドステッカー貼ったり。
  • ディズニーキャラクターのド派手なブランケット。
  • 前髪をでっかいクリップでとめる男女。決して朝寝ぼけてそのまま来ちゃった、というわけではない。
  • UNIQLOから新色カーディガンが発売すると、周りでその色を着た学生が大量出現して気まずい。
  • スラムダンクとワンピース知らないとわりと寂しい感じ。

ファッション

  • 古着がオシャレ。シカゴは神。
  • 憧れはLOWRYS FARMとJEANASiS。
  • 制服、冬だったらカラフルなカーディガンを2枚重ね。古着のよくわからない柄のジャンパーがアウター。ダッフルコートとかPコートはなぜかうちの地元では流行らなかった。
  • 制服、夏だったら半袖シャツの袖をひとつ折る。もしくはポロシャツ。一時期、シャツの裾を結ぶ、もしくはかわいいヘアゴムでしばるスタイルがなぜか流行った。男子はズボンの裾を片方だけロールアップ。腕にはエスニックなブレスレットじゃらじゃらが基本。
  • 制服スカートにニーハイソックス。
  • スクバよりもリュック。OUTDOORの。
  • シャツのボタンを2つ目まで開けるパターンもありつつ、あえて全部きっちり閉めるのもオシャレスタイルとして確立していた。
  • 手にも足にもミサンガ。
  • 足元はコンバースALL STARハイカットとかVANSなど。
  • たまにキティちゃん健康サンダル(男女は問いません)
  • 前髪命(男女は問いません)
  • エクステンションブーム。昨日ショートの子が今日はロングに。駅に一本だけ毛束が落ちてたり。
  • ツートンカラーブーム。右側は黒、左は金髪、とか。
  • 安っぽいカラフルなカチューシャつけてる人いた気がする。
  • とりあえず要所要所アシンメトリーにしとけば良い。

音楽

  • 中学の頃バンプやアジカンかじった人は、そこから派生してロック好きになる印象。
  • バンプ藤原氏と椎名林檎を崇拝している男女多数。
  • カラオケだったら、FLOWとかGO!GO!7188とかモンパチ、シャカラビ。
  • HYのいーず(女性ボーカル)の歌間違いなく流行る。
  • 加藤ミリヤブームがありました。
  • マキシマムザホルモンを聴く自分が嫌いではない。
  • 学祭のライブでELLEGARDENのスターフィッシュ歌うバンドはずるいです。
  • 学祭のライブでORANGE RANGEを歌うバンドは、当時の高校生心をよくわかっている。中学生の頃大ヒットしてけっこう誰もが知っていつつ、曲調もロックっぽさがあって、男子が歌うとカッコつくし、ライブで演奏すりゃ間違いなく盛り上がれるので。
  • 学祭のライブでDragon Ash歌うバンドは尊敬の眼差しで見ていた。
  • 10-FEETに励まされた。
  • YUKIへの漠然とした憧れ。
  • アジカンのゴッチとストレイテナーのホリエさんとエルレの細見さんは仲良しらしいというエピソードが好き。
  • locofrankやdustboxかっこいい。
  • チャットモンチーかわいい。
  • サンボマスターに胸を熱くしたことも。
  • RADWIMPSが現れた時の衝撃。
  • 銀杏BOYZが好きなおかっぱへあの古着っ子女子友達がいた。
  • いわゆるロキノン系・・・?
  • でも正直これまで上げたのは私の超主観なので、実際00年代の高校生が何を好んでいたのかは私もよくわかりません・・・・。


というわけで、
高校時代を00年代に過ごした立場から見てきた「文化」の勝手なまとめでした。

これはあくまで私の見た風景なので、全部がこうとは言えませんが、
こうして自分の世代独自の好きだったもの、こだわっていたこと、流行っていたものを
その頃と比べて少しだけ大人になった今思い出してみるのも、なかなかおもしろいです。
暇な時にやってみると永遠に時間を潰せます。

今度はそれぞれの分野をもう少し深く狭く掘り起こしてみるのも良いかもしれない。
「憧れた人」とか、「音楽」とか、「ファッション」とか・・・

ちなみに写真は、高校の修学旅行で行った沖縄の夕日ですな。
これもまた高2をこじらせていた良い思い出です。


かしこ。

2013年1月5日土曜日

よしわかった、ノスタルジーな気分と共に、自意識というものを振り返ってみよう。


唐突ですが、地元の長野県の中でもオシャレスポット(パルコがあるから)である
松本に、小学校から付き合ってる幼馴染とドライブに行ってきまして、
もはやパルコには定番の本屋さん、ヴィレッジ・ヴァンガードで
渋谷直角さんの「直角主義」って本を買い、今鬼のように読み進めております。

その中に、直角さんの妹さんに焦点を当てたインタビュー「ROCKIN' ON 妹」シリーズがあって、
これ読んだら、あのとにかく、衝撃を受けました。
たぶん、私含め、青春時代にきっと誰しもが通るであろう
自己のアイデンティティへの葛藤や、社会への反抗心、
いわゆるロックな自意識を見事に代弁してくれたインタビューなのです。

具体的には、
岐阜に住む女子高生にとっての「ロック」とは何か。彼女は「ロック」から何を感じ、判断しているのか。そして彼女はどこへ向かっていくのか。
というテーマのもとに展開された

これは、「ロック」を通した兄妹のドキュメントである。

というわけです。
そしてこのインタビューを読む上で要チェックポイントは、

思春期の自分のロック観と照らし合わせたり、ノスタルジーに浸ってもらえれば幸いだ。
っていうことです。
(引用元: ROCKIN' ON 妹|ロベルトノート)

つまり、妹さんが言っている音楽論が正しい正しくないは別として、
「自分がセブンティーンの頃、音楽や洋服や自己表現や他人との関係性について
どんな哲学を持って、どれだけ突っ張ったことをして、今考えるとどんなに痛々しかったか」
を思い起こしながら、
小恥ずかしさに思わず声を出して「何言ってんの自分バーカしね!」などと悶えたり、
「何これちょー共感できるんですけど!」と躍動する気持ちを楽しんだり、
「あの頃は、純粋だった。楽しい時代だった。」とノスタルジーに浸ったりできる、
非常に楽しいおかず的なインタビューなのです。

そう、これは「“地方の女子高生のロック観”が映し出す、“自分自身”のドキュメント」であるのだ。

▼ 直角さんの妹さんを通して見る、私の自意識(照)

この妹さん、私よりは3~4歳ほど年下なのだと思います。
けど、妹さんが通ってきた「ロックの道(笑)」や「邪道だと決めつけた音楽の類(笑)」、
そしてその後の「ViViはあり得ん!ファッション論(笑)」は、
個人的なそれとも、それなりに似ていました。

んーと、やっぱり嘘。あんま似てないかも。笑
ただ、系統というか、はまる方向性は似ている、と思う。まあどっちでもいいや。


私が高校生の頃とかはまさに、音楽が自分のアイデンティティでした。
自分が聴く音楽は、自分を表すものと同義。
あと、当時から裏原古着系ファッションとかいうしょっぱい洋服で
他と自分との違いを打ち出すことに情熱をそそぎ、
「なんか他とは違うよね」「センスあるよね」と言われることに
何よりも充足感を味わっていたものでした。

(こういうの作ってしょっぱいホームページ運営していた思い出)

とにかく自分という存在を他とは一線を画して確立させたい気持ちが強かったです。
自分だけは特別だ、周りの馴れ合いとは違うんだ、と信じたかったわけです。
でも、案外このくらいの年齢の少年少女であれば、
きっと誰しもがこういうことを思っているんですよね。
「自分だけは違う。他はみんなつまらない」って、
みんながみんな思っているから、今思えばそんな「特別さ」とか「違い」なんて
単なる夢想でしかない。
そもそもセブンティーンの自分が思っている「みんな」とか「世間」なんて
ほんの一握りに過ぎないわけで。
にも関わらず、すべてをわかった風に強気な発言をしたり、
「誰にも負けない」とか思えてしまうという。
この異常なまでの「自分は最強」感は、
ティーンだからこそ味わえた優越感でもあり、とても楽しいものだったなあ。うむ。

▼ 「誰も知らない」がある意味ステータスとなる音楽

直角さんの妹さんは、椎名林檎とかマリリン・マンソン、ゆらゆら帝国などを
好んで聴いたりしていたようです。(他にもいろいろあったようだけど)
直接的にかぶってはいないけど、たぶん「ロキノン系」をかじっていたところは似ていて、
その流れでいくと、私はELLEGARDENとかGREEN DAYとかマキシマムザホルモンを聴いて
突っ張った気持ちになっておりました。



「パンク」とか「ロック」とか「ハードコア」とか
正式な意味は正直よくわからないけれど、
なんとなく攻撃的で、暗くセンチメンタルで、独創的な音や歌詞を好む傾向がありました。
これは「ちっとも自分のことを理解してくれない世間への反抗」そのものです。
だからこそ私が聴き好む音楽は、みんなが好きだという“ベタな音楽”ではダメで、
「みんなどうしてわかってくれないの?」と絶望と不平を漏らしながらも、
同時に「絶対にわかってもらっちゃいけない音楽」でなければならないのです。
これがある意味、必須の音楽に求めるステータスでした。

ということもあり、
有心論とかが流行る前にRADWIMPSに目を付けた私は、
案の定周りに「誰それ知らない」と言われ一種の特別感を噛みしめつつ、
その後、RADWIMPSが流行りだすと、それをあまり聴かなくなってみたり、
「昔のほうがよかった」などとひねくれたことをほざいたもんです。
いやーー、青春だ(笑)

みんなEXILEとか嵐とか聴きやがってよ。
あれのどこがかっこいい?
みんなしてK-POPとかさ、個性がないじゃん。
セシルマクビーが何なのさ。
みたいなね(笑)
そういう、いわゆる「世間一般」みたいなものへの反抗が
すべてのモチベーションになっている側面は、あったと思う。
むしろそれでしかなかったのかも。ロックが好きだ、とかいうのも、表面的なもんで。

という具合で、基本的に少数派にいなければいけませんでした。
とか思いながら、ストレイテナーとかACIDMANとかホルモンとか、
東京事変とかdustboxとか10-FEETを聴いたりしていたけれど、
今、当時よりは見える世間が広がって、
自分よりもよっぽど個性的な人に出会ってみれば、
ちっとも自分が「他とは違う特別なマイノリティー」ではないことを、
嫌ってほど気づかされるのです。

個人的には突っ張っていると思ったこれらの音楽も、
「その領域」においてはよっぽど王道で、誰もが知っていて、
世の中にはもっとよくわからないような音楽を好んでいる人が
山ほどいるということに気づかされたりしています。

でも逆に、高校卒業してからようやく、
好きな音楽に共感できる友達ができたことはうれしかったです。
それまでは、孤独との葛藤こそが音楽を楽しむスパイスだぜ的な勢いで
意地になってガンガンとアグレッシブな音楽を聴いていました。
けれど、いいなと思えるメロディーやフレーズに対して抱く
純粋な感覚や感情、思いを誰かと同じくすることの楽しさを知るようになりました。

みんなが知っていてもいい。他じゃなくて、自分が好きだと思うことが大事。
特別な孤高の存在でなくていい。みんなと一緒だと楽しいもんだから。
私が知らない誰かの価値観の中に、心揺さぶる感動があったりする。
・・・これが20歳とかそのへん。
今までの価値観をぶっ壊すほどの衝撃的な転換期だったかと思います。

たぶんここで初めて、他を否定することで確立する自己ではなく、
他ありきではなく自分の根本にある衝動や感覚から成る自己というものに
若干気づき始めたり、始めなかったりしたのかもしれません。

それから聴く音楽がセブンティーン時代よりも丸くなってきたり、しましたね。なんてね。

▼ 頑なだった自意識も、案外大したことないねと、はにかむ笑顔はきれいだ

いやはや。非常に楽しくなってまいりましたよ、直角主義、ROCKIN' ON 妹。
まるで自分を見ているかのようでもあり、
無垢で痛々しくて、かわいらしい妹を見るようであり。
かつ、1年に1回年末に行われるこのインタビューも、
回を重ねるごとに、はっきりと、妹さんの成長を感じられるんです。
これは、おそらく自分がたどった成長の軌跡とも、しっくり来る。
来すぎて泣きそう。心臓いたい。

まず、印象的なティーン的発言がこれ。
「どこ行っても、南は少数派なのかなあ、って」
(引用: rockin' on 妹 2011|ロベルトノート)

うん。若かりし自意識はこの一言に尽きると思う。
これ私も思っていましたもの、ずっと。
「自分はいつでもどこでもマイノリティー。
みんな私を変わってるって、わかってくれない。
でもこれが何よりも正しい道だって、信じているの。
周りがどう言おうとね。」
的な。 ノスタルジー!

こう気づいて考えることが、一種のステータスであり、
自分の狭い視野の中で悶えながら
どうにか考えた非常に脆いアイデンティティを確立するために絶対通るプロセスだった。

他人との違いの上でしか自己を認識できていないので、
結局他人ありきで、完全な自己のアイデンティティとは言えない自意識。
でもこれが自分の生きる道しるべであり、
当時の、そして今でも自分にとっても大切なフェーズだったと思います。

でも、これで完結じゃないのよね、アイデンティティを探す、人生という名の旅は。

東京に出て、夜間の専門学校に通う妹さん(19)が語る、この言葉。
「・・・・・・・・・高校の時は、南はまわりを見下してたっていうか、そういうところがあったのに、今もみんな仲良くしてくれるし、そういうウザイ人って疎遠になったりするのに、ひさしぶりにmixiやったりすると、すぐコメントくれたりして」・・・「それで、周りの子たちの方が、ずっと大人だったんだな、って思って・・・・・・。それは・・・・・・、みんなバカなのは変わりないけど、自分より全然大人じゃん、って思って。そういうのは、東京来ないとわからなかったことだと思う」
(引用: 「ROCKIN' ON 妹 2012」 直角主義 - 渋谷直角 p.156)

これなんですよね。
妹さん、大人ですね。私19の時はまだここまで考える余裕はなかったです。
きっと私も、いろんな人を勝手に「一般人」というくくりにして、バカにしていました。
自分が特別であるという、おこがましい前提のもと。

思春期に誰もが通る若気の至り的思考のひとつなのだろうけど、
少しずつ、視野も広がって、いろんな人の価値観を垣間見るようになってくると、
今まで他人を見下すようなことをしてきたことが恥ずかしくなります。本当に。

でもきっと、これを話している時の妹さん、
良い顔してたんじゃないかなーと思うんですわ。

ちょっとバカなことしてきたな自分、って気づいて、
申し訳なさそうに、そして今だからこそ少し心にゆとりを持って
はにかんだように自分の幼い体験を語る人は、
きっと多くの共感と好感を集め、その人を魅力的にするんじゃないかと。

決まったね。本日のまとめ。
素直さと謙虚さ、そして自身と世間を見つめる解像度を高めると、
こそばゆい自分の人生も、少しはオモシロくなるかも!?


とはいえ、だいたいオモシロくはないです!
期待はしないぜ!ええ。

かしこ。

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●直角主義 - 渋谷直角

2012年11月18日日曜日

奇抜裏原CUTiE世代が、POPEYE購読を機に雑誌を語る

雑誌ってすごいな、って、思います。最近改めて。
今じゃインターネットのあちらこちらにおもしろい情報が落っこちているけど、
どんなにおもしろいWebメディアにも勝てない魅力が、雑誌にはあります。
もちろんWebはWebで、雑誌は雑誌で、それぞれ違った魅力があるものだけれど。

雑誌って、基本的にブレがないと思っています。
いつも安定して、私が興味があるテーマをびしっと当ててきて、盛りだくさん届けてくれる。
もちろん、自分がどんな情報が欲しいのかという前提ありきで
雑誌を選んでいるからってのもあるかもしれないけど、
それでも毎回一貫したテーマでありつつ、飽きさせず、自分も安心して読める。すごいです。

とはいえ、ブレるというか、テーマを一新して今までとは全く違う打ち出し方をする雑誌もある。

たとえば私が経験したのは、CUTiEという雑誌。
あれは私が高校生の頃だったでしょうか。
CUTiEっていえば、奇抜なファッションが目を引いたものです。
いわゆる「古着系」、「裏原系」とか言われるジャンルで、
服の色も柄も着崩し方も、化粧も眉毛も髪の毛もほんとう自由。
白装束みたいなものから、ゴリゴリ民族系、どこぞのパーティーかってものから
アメカジがもっとぶっ飛んだものとか、黒ずくめ、ロック、ガーリー、エトセトラ・・・

うまく言えないけど、ジャンル的には、FRUiTSとかがそれっぽいかも。
FRUiTSに出てて、CUTiEにも出てる人とかも、いた気がする。
(まだFRUiTSってあるんですかね?最近見てないなあ)

いかに自分というキャンバス上で、他とは違う個性を表現するか、に
情熱を持った女の子たちの、いわば作品が詰まった雑誌だったかと思います。
しかし私はどちらかというとZipper派でした。
CUTiEかZipperかといえば、Zipperの方が親しみやすさがあると思っていたからです。
(今思えばどっちもどっちかもしれぬ)

が、しかし。
高校の帰りに近くの本屋で久々にCUTiEを手にとったら、わーびっくり。
あのゴリゴリ系の要素がだいぶ薄まって、というかほぼ皆無で、
なんというのでしょうか、普通に女の子らしいファッション雑誌、って感じになっていました。
そして今や、ローラとか大島優子とかまゆゆが表紙になっていらっしゃるんですよ。わーびっくり。
私が知ってる頃のCUTiEでは、
彼女のような子たちが表紙になるなんて、想像もできませんでした。

確かに、CUTiEは今の形になったほうが、ニーズはあったのかもしれません。
今の若い女子高生、女子大生が着るには良い具合にかわいい感じです。
ただ、個人的にはCUTiEといえば
どこぞのエスキモーの服を借りてきたんですか、っていうような不思議な服を着て、
誰かに「ウケる」ことを一切気にせず、自分の好きなものを着て、
少数でもそれを「いいね」って言ってくれる友だちとまた原宿を闊歩する、っていう
そういう人たちのための雑誌だった時のCUTiEが、嫌いじゃなかったです。

でも、時代の流れなのですかね。
どこぞのエスキモー(あくまで一例)的なファッションは、
現代ではあまりにも市場が小さくなりすぎてしまったのか、
「わかってくれる人にだけわかればいい」では済まなくなったのか、
どういう意図で変わったのか詳しくはわかりません。
私も勝手なことをほざいていますが、
CUTiE的にも何かしら思うところがあったのだと思います。

(ちなみにZipperはわりと相変わらずな感じで安心しました。)


で、ちょーイケメン雑誌「POPEYE」。
ちょっと前に気になっていて今月初めて買ってみました。
男のこだわりあふれたファッション、ライフスタイルが詰まった魅力的なものでした。
ダンディズム。
昔からわりと、メンズ雑誌もよく読むほうでした。
男の人のファッションって、サイズ感とかバランスとか、使う色の組み合わせとか材質とか
そういう細やかなところがすごくきれいだったりするので、とても参考になるのです。
シンプルだけどおしゃれ、見れば見るほど味わい深いおしゃれ、
っていうのは、女の人より男の人のほうが上手い気がします。

そんなわけで「POPEYEやべーちょーやべー」とか言ってたわけですが、
このPOPEYEも、つい最近リニューアルをしたと言うじゃないですか。
以下参照。


「メンズノンノを仮想ライバル視するファッション雑誌だった」というPOPEYE。
1990年代のはじめ頃、バブル崩壊の直前の当時、
昔はどうやったらモテるかとかデートの誘い方とか、
そういう話ばっかり載っていたらしい。
へー、最近にわかPOPEYEファンになった私としては信じられぬ。

今、「シティボーイのための雑誌」というコンセプトで打ち出しているようですが、
これはそもそものPOPEYE創刊当時の原点回帰ともいえる、とのこと。
アメリカ西海岸のライフスタイルを日本に紹介する、と。

上記記事によると、シティボーイとは私の知っているところだと、
YMOとかタモリとか岡本太郎、小沢健二とかだそう。ふーむ。
これからの時代はシティボーイだと、ふーむ。
何かよくわからないけど、とりあえず落ち着いた大人の粋でオシャレでダンディな雑誌
というくらいの理解力ですみません。

ってこともあり、昔はイケてると思ったのに今じゃ・・・とか
昔はチャラかったけど、今はかっちょええ!とか
どっちにしろ雑誌のテイストの変化というのは、案外普通にあることで、
これは自然なことなのかもしれない。

冒頭で私が申した、「雑誌はブレがない」ということも、
ずっと死ぬまで一貫している、というよりは、
「ある時代の区切りの中ではブレがない」と言った方が正確かもしれません。
つまり、時代が変われば、雑誌もそれに合わせて軸を変え、
そして読まれる読者層ともごっそり変えて、そしてまた魅了していく。
また読者である私自身、生きている時代の変化に合わせて、
好む雑誌も変えてきたわけですし。
雑誌と自分の関係は、意外と浮気なところがあったりして。

自分自身、もはやリニューアル前後どっちにしろ、CUTiEは読んでいないし、
ZipperもFRUiTSも読まなくなったし、
その後好きになっては、見向きもしなくなってしまった雑誌も数々。
それは自分も、かっこよく言うと変化しているわけで。いや、退化しているかもしれないし。
まあどちらにせよ、何か本当に核となるものもあるかもしれないけど、
案外ずっと一貫性があるってことはなくって、わりとミーハーなもんです。

つまり、一口にポパイといっても、時代によって雑誌の性格はまったく異なるわけで、あるいは、雑誌の性質が次の時代を準備するといってもいいのだけれど、どっちが先かはよく分からないのだが、何が言いたいかというと、今回のポパイのリニューアルは、何度目かの時代の変わり目にあたる時期での"変身"なのだと云うことである。
(引用元:  「ポパイ」のリニューアルで考える時代の変化----シティボーイは復活するのか、ホントに)

なるほど、と思いました。
雑誌はいつだって、その時代を表しているのかもしれません。
もしくは時代の移り変わりをいち早く察知して、新たなコンセプトと共に新たな時代を提案しているのかもしれません。
そういう意味では、今の時代を理解するのに雑誌はとても良い教科書です。

そして、自分自身が好む雑誌というものを俯瞰してみると、
移りゆく今の時代を、自分が如何様に生き抜こうとしているのか、
どんな生き方を選択しようとしているのか、どうありたいと感じているのか、
が見えてくる、かも。

雑誌を通して多様な生き方を提示してもらうことで、
人はそれぞれ自分が心地よく感じる生き方を選び、散り散りに多様化し、絶対の信頼を持つ。
(生き方っつーと大げさだけど、要はどんな服を着るかとか何を食べるか、読むか、聴くか、ということ)
ひとつの媒体につくファン層というのは、マス的に大規模なものもあれば、
非常にマイノリティなものもある。
ただ数が少ないからといって、マイノリティは必要ないことはなくて
それはそれで、誰かの心の支えになっているはずなので、
マス風の派手なことはできなくても、
独自のライフサイクルで持続可能なものにはなると思う。

多数派と少数派という対立軸に置くのはナンセンスですので気をつけたいですが。
とりあえず、AKB48も在日ファンクもビートルズも渋さ知らズも何でもいいけど、
メジャー/マイノリティーとかではなくて、それぞれ一定の大事なファンがいるだろうから、
それぞれのやり方で存在意義を発揮して、独自のコミュニティで楽しみ続けて、
それぞれの見える距離の幸せを掴んでいければいいですね。
そうすりゃ世界は回るんじゃないかと、また勝手なことを思っていますよ。


好きな雑誌を、好きなように読み、
飽きたらまた次を探せばよい!以上。


かしこ

2012年11月17日土曜日

秋は、気付いた頃に終わるので

秋とは、気がついた頃には終わっている。

そして、自分は想像以上に貧乏性でチキンである。



    

 

それゆえ、積極的に秋服を買ったり嗜むということとは、あまり縁のない人生を歩んできた。

しかし、この時期って本当服がかわいいですね。

しかし、この時期って、本当に着るものに困りますね。

買えよ、という話か。でもあんまり余裕無いです。

こまったこまった。