2013年11月10日日曜日

雑誌論:「東京慣れたしもういい大人だし」と言わず、今こそTokyo graffitiを。


Tokyo graffitiを久々に読みました。よく行くハンバーガー屋さんに置いてあったやつ。
大学入学の頃、上京することになった当時はよく読んでいたものです。
「これが憧れのTOKYO LIFEや!」と、隅々まで読みまくって目をキラッキラさせていた。

けど東京暮らしも6年目になり、大学を卒業し、会社に勤めだして2年目。
すっかり東京サラリーマン生活の荒波にもまれるなどして、
ある程度東京という土地にも慣れてきた今、あまり読まなくなってしまったTokyo graffiti。
「現実の東京生活は、そんなにキラキラしたもんばかりじゃねえよなぁ・・・プハ~(エアータバコ)」
とわかったような風を吹かしている始末。
やれやれ、我ながらつまらん大人になりかけたものです。


http://instagram.com/p/f-b28XPBGx/


まあ実際、Tokyo graffitiの読者層って、東京に出てきたばかりだったり、
いよいよ東京遊びの楽しみを知り始め、「トーキョーウェーイ!」ってなる時期の若者が多いのかもしれません。
載っている人も、大学生くらいとか、高校生が多い。
読み始めた頃は「ああかっこいい大人たち」と思っていたけど、
今ストリートスナップとか見て、「いやはや洒落た人だなぁ」と思い、
()に入った年齢を見ると、もはや年下ばかりで驚く。
これで19歳はアカン!と。何がアカンのかわからないけど。
とにかく急激に、アンタもう若くないのよ大人しくしなさいと諭されたかのような感覚に陥るのです。
いや、まだいちおう若いハズなんだKEDONE!


雑誌の描く世界と、自分が現実に生きる世界に、ちょっとした乖離を感じたが故に、
私はこのTokyo graffitiという雑誌から離れてしまったのだと思います。
その乖離に対して「あんなんもうダセーヨ!」という嫉妬と紙一重の負け犬の遠吠えをかましつつ、
「GINZAを読むあたくし」という、新たな夢と希望を抱ける雑誌を拠り所にする。
自分自身の心身の成長と、「大人になった気」の膨らみ具合と、
理想とともに抱く幻想に合わせて、読む雑誌も変わっていく。
大二病の終焉と、社二病の開化。



とはいえ、その時代ごとに常に何かしらをこじらせているのは事実として、
改めて昔好きだったものを読み返したり、聴き返したり、見返したりするのって、
すごく楽しい娯楽だなあ、とも思っております。

「昔」には、少なからず今よりも物を知らない分の純粋さがあって、
そういう無垢な当時の感性が、今の自分を少し浄化してくれたりもする。
あれだけ、「もはやダセー」と思っていたものの中に、
今だからこそ改めて「ハッ」とさせられる何かがある。
どんなダサい嗜好も大事な思い出であり、無条件の愛情を抱き続けているのですわ。きっと。

だからこそ、大人たちは今、小ダサさがあると思った90年代ポップスをエンドレスリピートし、
「若気の至り」の象徴だったようなファッションブランドの再隆起に喜び、
そんな我らが青春時代カルチャーをCOOLとかカワイイとか言う今時の若者に嫉妬してみたりする。



以上のように、我ながら厄介極まりない哲学を巡らせつつ、
Tokyo graffitiを端から端まで読み尽くしていた昼下がりのハンバーガー屋。
そりゃもうたのしいのなんのって。


そんな時に見つけた、一枚の写真。

http://instagram.com/p/gNzdKxPBBv/

ハッ

たぶん、Tokyo graffiti購読全盛期だった頃の私だったら、
受け流していたであろうオシャレでもカッコよくもないこの写真に、
なんとも言えない矛盾と哀愁と、壮大な人生観を感じてしまいました。
過去に大事な人がタバコで身体を患った時の悲しさを忘れられない一方で、
今、若気の至りとかではなく、生活の糧として酒やタバコを嗜む人が周りに増えたからこそ。
この言葉が心臓にぐさっと刺さったままずっと取れなくて困っている。



こんな具合にたぶん、上京したてホヤホヤじゃない今だから気付かされるものって、
過去好きだったアレコレの中に、いろいろ落ちているんだろうな。
そう思ったら、前向いて成長とか新しい刺激とかばっかり求めている場合じゃない。
こりゃ喜んで後戻りしなければ、と、そんな気がして、今日も現実逃避が捗る次第でございます。


かしこ。

2013年10月12日土曜日

「ああいう男になってみたい」と思った話

わたくし、奥田民生さんがすきなんですけどね。

「かっこいいおっさん」の代表格。なんというか、肩肘張ってないというか、揺るがないというか、たのしそうな人だなあ、と勝手に思っています。わりと「独特な雰囲気を持っている人」と言われそうなタイプだと思うのですが、かといってミーハーであることを変に否定する様子もなく、好きなものは好きだしいいじゃん、って感じが良いです。

そういう類の人は、いわゆる仙人男子、とか最近では言われているみたいですが。まあ、こういうなんちゃら男子とかほにゃほにゃ女子みたいに、何でもかんでもネーミングつけて括るのもどんなもんなんだ、って気はするけど、わからんでもない、ような気はします。

しかし、「狙うなら仙人男子にせよ!」みたいなコンテンツが早速ネットで上がってて、わはは、とおもしろく拝見させていただきました。いや~、昨今の女子の積極さと勤勉さには感心します。脱帽。

参考:草食・肉食系なんてもう古い!今「仙人男子」が女子に人気らしい - NAVER まとめ




さて。つまりはわたくしも今勢いを持て余す、仙人男子を好む勤勉女子のひとりなのか、と言ったら、ちょっと違うんです。言い訳がましいですが、ちゃうんや。

まあ確かに、奥田民生とか所ジョージとかトータス松本とか斉藤和義とか、異性として見ても、すてきな方だとはもちろん思います。ただそれ以上に、仙人男子とかイケてるおっさんとかなんちゃら、っていうタイプでは単純に括れない人間である、というところに尊敬というか憧れを抱いております。

他人との比較とか、周りが決めた属性とかをひょいっと飛び越えちゃっている人たち。簡単に彼らを語ることはできないし恐れ多い。実際、すきだとは言え、いまいち私も民生氏とか所さんがどういう人なのか、よくわからない。なんとなくテキトーで趣味に生きていて落ち着いているというイメージはあるけど、本当は何考えているかわからないし、たぶんテレビで見せてる姿とは違う素性を持っていそうだし、それを簡単には他人に見せてくれなさそうです。だから、お茶の間の一般人である私が彼らのことを語れるものは、ほぼゼロだと思います。


よく、芸能人で誰がすき?と言われると、奥田民生、って答えてるけど、何がいいのか?とか聞かれても、正直よくわからん、としか答えられません。だから実は、民生氏を「良いな」と思う理由は、具体的にルックスとか正確とか作品とかどこどこが良い、とか、そういうのはあんまり関係ないのかもしれないです。あ、音楽はとても好きですけども。たぶんだけど、「何考えてるかよくわからないけど、思わず周りの人の頬を緩ませる雰囲気を持っていて、ひとりで勝手に楽しそうにしてる」というところが好きなんです。好き、というのはつまり、「自分もああなりたい」っていう意味合いで。



そう、私は奥田民生みたいな人になりたい。だから、「仙人男子を狙う女子」的なアレとはちょっと違う意味で、すきなのだよ。うん、理屈っぽいですかね。そして言い訳っぽいですかね。まあいいや。

いやでも本当、うらやましいんだ、ああいう人が。何考えているかわからないので、どういった心情で生きているのかもなんとも言えないけど、理想的な生き方だと勝手に思って尊敬しています。私は女だけど、奥田民生に似てる、って言われたらたぶん嬉しい気持ちになります。浮かれます。



 ああ、だからもう、フジロックで大雨の中、グリーンステージで歌う奥田民生を見たときは泣いたよ、そりゃもう悔しいくらいかっこよかったもんだから。くっそー到底届かねえよあんな人間に、って。苗場の大雨を大いに浴びていたので、本当に泣いたのかは、よくわからないけどさ。


かしこ。

2013年9月24日火曜日

香りは自己満足と相性


この春より私は、雑貨屋の香りのする女でした。

否、雑貨屋で買ったオードトワレを使っていた、
というだけの話でした、調子乗りましたごめんなさい。


さて。春から使っていた雑貨屋の香り(イメージ)のオードトワレが終わったので、
また別の雑貨屋で新たにオードトワレ買ってきました。
MADE IN ITALY。イタリア製というだけで、やたら高級感溢れますね。
さらに、「WHITE TEA」という明確な香りの名称があるので、
もう雑貨屋の香りというあやふやな表現をせずに済みます。

(ホワイトティー、いわゆる白茶は、中国茶の一種で、夏バテに効くらしい。よく香水やアロマにも使われたりするようです。)


肌につけてしばらくたつと、こっくりとしたエキゾチックな甘みのある香りになります。
以前使っていたCK beにすこし通じるものがあって、気に入りました。





何らかの香りを身にまとうということは、他人に向けて香らせたい、というのも然り、
常に自分の好きな香り包まれて癒やされたい、という側面が個人的には強いと思っています。

で、香りというものは、かなり好き嫌いも別れるし、
本当に合わないものは具合悪くなるくらい影響力強いです。

自分にとっては良い匂いでも、相手にとっては好みじゃなかったり、
見た目は美味しそうだけど、香りがダメで食べられなかったり等々。
と考えると、ある場所に居たり、食べたり、人付き合いをしたりといった暮らしの中では、
香りの相性っていうのは、けっこう重要なのかもしれません。

そういえば、香りから連想される人のイメージっていうのもけっこう大きいものです。
街中でとある香水の香りがすると、「あ、あの人の香りだ」とか思ったり、
香りをかぐだけで、その人をリアルに思い起こせたり、身近に感じさせられます。
高校の頃、憧れの先輩と同じ香水を買う友達とかいたけど、まさにそういうことなんだろうな、と。



香りひとつで、嬉しい気持ちにもなるし、気持ち悪くもなる。
どうせだったら、嬉しい気持ちでいたいので、
何かしらお気に入りの香りを身につけることで、常時セルフアロマテラピーを施し、
この世知辛い世の中を生き延びていきたい、と思った次第でございます。



かしこ

2013年9月22日日曜日

お土産を選ぶことの楽しさと難しさと、嬉しさ


新聞紙にくるまれたこいつの中身は

ぽってりしたシンプルなマグカップ、チャイ用。

ちょっと小ぶり。本場のくそ甘いチャイを飲むなら、これくらいのサイズが程良いのだろう。

やたらレトロなコースター。8枚入り。8人でパーティーしなきゃ。



最近ちらほらとお土産をもらう機会がありまして。
ひとつはインド、もうひとつは上高地。

お土産を選ぶ、という行為はとても難しい。
そして、その人のセンスが見えやすいものだと思います。

プレゼントを選ぶ時もそうだけれど、
特にお土産の場合は、旅先という限られた範囲の中で、
その土地らしい味わいがありつつ、
渡す相手の感覚にフィットするものを選ばなければいけません。
パルコやルミネじゃないので、オシャレで流行りのものが売っているとは限りません。

物にすると、自分のセンスが問われ、
気に入ってもらえないかもしれない可能性にプレッシャーを感じるので、
だいたい名物のお菓子とか、美味しい食べ物など無難なものにしてしまうことも多々。

だがしかし今回。
ふたつとも食べ物ではなく、物でした。
で、お二方とも、やはりおそらく気に入ってもらえないかもしれない可能性を見込んで、

「そのへんの雑貨屋で買った何てことないものだけど…」
「どうですか?気に入るといいんだけど、趣味のうるさい人だから…」

とか、予防線を張っている様子が見受けられました。

いや、でも申し訳ないけど、
どちらもめっちゃかわいいですやん!!!めっちゃ気に入りましたわ!!


私自身も、何かとプレゼントをあげたりお土産を買うことがすきで、
相手が気に入ってくれるとえっらい嬉しくなるので、楽しいです。

で、今回、お土産という形でいくつかプレゼントをいただいてみて、
自分の好みどんぴしゃなものをもらう側も、えっらい嬉しいものですね、と改めて感じた次第です。

自分で自分の好みの物を手に入れるのも楽しいけど、
それ以上に、人から自分の好みの物を選んでもらえるのって、楽しい嬉しいが倍になります。
人と一緒に食べるごはんは美味しい的な、アレですかね。うん、何言ってるかよくわかんない。




とにかくですね、
オイラも長期休暇とってどこか遠くに行ってしまいたい!もういやだ!




取り乱しました。



お土産コラボレーション。



かしこ

2013年8月26日月曜日

ipod音楽メモ02:ポップとロックと夏


(知らない人の、スペアザTシャツ)


ブログを書くクセをつけるなら、
定期的に更新できるようなテーマをひとつ持っておくといいじゃねえか
ということで始めたこちらの定期テーマ。
相も変わらず、日曜の午後。けだるい蒸し暑さの中。
少々の「夏の終わり」を感じさせる世間の空気に反抗しながら、
本日もTSUTAYAで音楽をむさぼり借りてきました。


●Tahiti80 「Puzzle」

あー苗場でTahiti80聴きたかったなーー。
ということで、フジロック病を順調に引きずりつつ聴いているTahiti80。
フランスの、おしゃれな、ポップなサウンドを響かすグループ。フランスだけど英語で歌う。
初夏の爽やかな青い空と白い砂浜とパンケーキが似合いそうな「Hey Joe」がとても良い。

●group_inou 「DAY」

group_inouは、確か以前、スペアザの芹澤さんか誰かがかっこいいと言っていたので、
それならばとYouTubeで聴いてみたのが知るきっかけ、だったような。(超うろ覚え)
で、こちらのアルバムに入っている「JUDGE」はモヤさまのエンディング曲だったらしい。さすがモヤさま(?)
でも、こういうテレビ番組のBGMとかエンディング曲とかって、誰がどういう風に決めるんだろう?
プロデューサーとかの好みなのかしら。
何かの番組はYour Song is GoodとかSAKEROCKをやたら流していて、非常に気になった覚えがある。
と、話がそれたが、group_inouは「9」もかっちょいい。今時の日本の音楽っぽくて良い。

●Radiohead 「The Bends」

Radioheadといえば、CreepのMV。ジョニー・デップが出ているやつ。あのなんとも淡い儚い感じの。
「フレンチなしあわせの見つけ方」という映画のワンシーンのようですね。
で、昨年のフジロックに出るというから、ちょこっと聞いてみたりしたことはあった。
その後、今年タイのサメット島のビーチで、誰かがcreepを生演奏していたのが聞こえてから、
改めてちゃんと聴いてみようと思ったのがきっかけで、わりと最近はよく聴いている。
このアルバムでは、Justが良かった。ギターロックって感じで。

●Radiohead 「KID A」

OK Computer→Pablo Honey→The Bendsときて、KID A。これまでと全然違った雰囲気に。
無機質な電子音がメインな感じで、ボーカルも少なめ?
これまでのイメージで聞くとびっくりします。ので最初はちょっと聴きなれない。
戸惑ったので、Amazonレビューとかで人の評価を読んでみると、
やはり理解するのに時間がかかる、とか、最初は不快だったとか書かれていた。
でも、それぞれある状況や環境で聴くと、とたんに「最高」だと感じるようになる、と。
難解ではあれども聴き方を見つけると一変、実は優しく心地よいアルバムになるのだそう。深い。
去年フジロックでRadiohead聞いた人は、ライブ中に「トム・ヨーク酔いした」と言っていた。
なるほど確かに、私も「自分なりの聴き方」を見出そうと聴きこんでいるうちに酔いそうな気がする。

●Blur 「the best of」

OASIS、Radioheadときて、順調に王道UKロックバンドに着手しまして、
この度、Blurもはじめて聴いてみました。
どうでもいいけど、個人的に「まずベストアルバムを借りる」って、何か逃げみたいな気がしてしまいます。
世間が認める代表曲を手軽に聴けるベストアルバム。
それに対して、過去の変遷を辿りながらオリジナルアルバムを聴きこむ中で、
これだ!というお気に入りの曲を地道に発掘していくのが理想的である!
とかまた我ながら面倒くさい意地を張ったりもしますが、
まあ見事にベストアルバムから手を付けましたけどね。
Country Houseがポップで楽しい感じ。と思ったらいろいろ問題のあった作品だそうで。
「ブラー・オアシス戦争」、なるものがあり、嫌なイメージもあったことからライブでは封印されていたが、
2009年の再始動公演でセットリスト復活したそうな。見事な大合唱となっているのが印象的。

●Red Hot Chili Peppers 「Mother's Milk」

レッチリは王道のCalifornicationから入り、そしてMother's Milkを今回借りてみました。
そして、okamoto'sのハマ・オカモトさんが、
当アルバムに収録されている「STONE COLD BUSH」のベースソロを解説していたのが
これまたかっこよかったので、あえてこちらの動画でご紹介。
ベースかっこいいな~いいな~。

●Special Others 「Uncle John」

これ持ってる気でいたけど持ってなかった、ミニアルバム「Uncle John」。
日比谷野音でやったこのライブ。いやもう名曲です。
音楽ってすばらしいな、東京っていいところだな、明日も生きようかな、って思えます。
外で聴くのにぴったりです。
欲を言えば、そこに芝生と麦酒と、一緒に音を楽しむよき観客のみなさまがいると、より最高です。
私生まれ変わったらスペアザになりたいです。



なんか、私は最近ポップなものが気分なようです。

かしこ

2013年8月12日月曜日

iPodに入れた音楽の適当メモ01:苗場に向かう車中のBGMに刺激されて


猛暑と豪雨のここは日本。
夏といえばフェスティバル。
はずせないのはウマいご飯と揺れる音楽。


と、常時フェスティバルみたいな毎日は過ごせないものの、
毎週日曜は、隣駅のTSUTAYAに行くことが楽しみのひとつとなっています。
5枚1,050円でごそっとレンタルしたCDをiPodに取り込んだりしていると、
気付いた時にはもう日曜も終わりの時間。
明日が月曜というその現実から逃れるためにも、
5枚のCDを無心に聞きまくり、例のごとく寝不足の1週間が始まるわけです。


で、唐突ですが、ここ最近借りて、iPodに入れたものを振り返ります。



●奥田民生 「CAR SONGS OF THE YEARS」 「29」
好きだ好きだと言いながら、改めて思えば、民生さんの曲あんまり知らなかった。
なので最近いろいろ借りて聞いてみている。
それにしても、フジロック2013でどしゃぶりの雨の中、
生でさすらいを聞けたのは、すごく感動的だったなあ。

●SOUR 「アンサンブル」
フジロック帰りの車中で、あのホロホロした音を聞いたら、久々にSOURが聞きたくなって借りてきた。
オーガニックなイメージのバンドだけど、ベースの人がなかなかにHIP HOPっぽい感じらしい。
調べてみたらほんとにそんな感じだった。

●真心ブラザーズ 「B.A.D.」
母親がすごい好きで、子供の頃よく一緒に聞いていたこのアルバム。
あと「空にまいあがれ」は、天才てれびくんの歌コーナー、通称ミュージックてれびくんで、てれび戦士の子が歌っていたんだよなあ。
今改めて思うけど、ミュージックてれびくんのカバー選曲はハイセンスだった。
完全にプロデューサーか誰かの世代感とか趣味が盛り込まれている感じが良い。
とかそんな思い出のあるアルバムです。

●yes 「fragile」
「Roundabout」を、フジロックに一緒に行った人のiPodで聞いたら、
かっこよすぎて悶絶したので、東京に帰ってきて即借りました。ベースがかっこよすぎる。
ジョジョのエンディング曲だったみたいですね。このアルバム自体は1971年リリースらしい。
時代を問わず、かっこいいものはかっこいいんだな、と思わされました。あーベースかっこいい。

●The Stone Roses 「The Stone Roses」
去年はフジロックに、今年はサマソニに出演したThe Stone Roses。
このアルバムは私が生まれた年に発売されたのですね。
90年台のマッドチェスター代表格。ピロピロっとした音が懐かしい感じがする。気がする。

●FUN. 「Some Nights」
わりと最近デビューしたのかな?今年のフジロックにも出演してた。
ボーカルのネイト・スミスについては、フレディ・マーキュリーの再来、とか言われているみたいです。
コーラスの感じとか、何となくクイーンっぽいのかも、しれません。

●UA 「AMETORA」
なんとなく聞いたことある、くらいだったUAを改めて。
椎名林檎とかcoccoと並んで、個性的なイメージがあるけれど、曲は心地よく聞きやすいものが多いように感じます。



そうそう、UAといえば、Perfumeとのマッシュアップが超すてきです。


●BEADY EYE 「Different Gear, Still Speeding」
タイのオープンテラス(?)の飲み屋で、アコースティックライブやってるおっちゃんが歌っていたWonderwallを聞いてから、
今更ながらにオアシスにハマっております。
今まで邦楽メインだったんだけど、最近はオアシスきっかけで洋楽も聞くようになった。
ということで、BEADY EYEもちょっと聞いてみようと思った次第です。


●dachambo 「DR. DACHAMBO IN GOONYARA ISLAND」
一昨年のフジロック、ヘブンで聞いたことが思い出されます。
ちょうどインストに興味を持ち始めた頃、パスタ屋時代の師匠から教わったバンドのひとつがdachambo。
これはあえて自棄になって、朝の通勤電車の中とかで聞いちゃうと良い。
これから仕事って時にディジュリドゥの音とか聞くとね、妙なテンションになってきますよ。


以上。
今後もこんな具合で、テキトーすぎる感想文と共に、
iPodに入れた音楽をまとめてメモしておこうかなと思っていますよ。


かしこ

2013年7月13日土曜日

「食べ物の写真を撮る」ということについて


「やたら食べ物の写真撮る人いるけど、意味わからん、早く食えよ冷める、って思う」

という意見の友人とともに、先日ごはん食べてきました。
写真は撮りましたごめんなさい。

私自身はわりと、食べ物とか行った場所とか一緒にいる人とか
何気ないその場の風景を、好んで撮りたい派です。
でも、周りはあまり積極的に写真を撮る人がいないので
なんとなくいつも、こそこそビクビク撮ってます。



なんで人と一緒にいる時に、やたら写真撮る人が嫌だと思うのかというと、
  • 撮るものがある=素敵なものに囲まれている=リア充気取り
  • 写真を撮るという行為=オシャレ気取り
  • どうせあとでFacebookにあげて自慢するつもりなんだろう?
  • 食べるために食べるのか、撮るために食べるのか、本質忘れてるのでは?
あたりが理由になるんじゃないかなあ、と思います。

そんな具合で、写真を撮るという行為や、カメラが趣味の人に対して
「意図的な『自慢』や『承認欲求』を感じずにはいられない」
と感じる風潮は、世間一般にわりと蔓延しているような気がします。
(あくまで私の見ている「世間」と「一般」の範疇でのお話にはなりますが・・・。)

でも結局、写真を撮るのも、批判をするのも、会話をするのも、オシャレするのも、
基本的には自己主張とか承認欲求が根本にある、ということは生きる上で仕方ないと思います。
自分で自分を認識したり、誰かに存在を認識してもらってはじめて、
生きた心地がしてくるものなんじゃないかと。

自分から何かを発することを、いちいち「自慢」「承認欲求」と片付けられてしまったら
写真はおろか、話すことも服を着ることも、何も出来なくなってしまいそうです。



私の場合は、健全に生きるための趣味です。
好きなものの写真を撮ることが。

写真もそうだし、こうしてブログで書いた考え事も、
コレクションにしてwebという棚に並べている感覚です。
そうして、客観的かつ主観的に眺めながら自分を振り返ってみたり、
誰とも知らない人に「ああこういう人がいるんだな」と認識してもらうことで、
自分の存在を確かめている感じ。

私は自分のこと人に話すのがおそろしく苦手だから、
その分写真とかものを書くことで自己主張したり、承認欲求を満たしているところがあります。
きちんと自分を語ることができれば
あえて写真と文章をWebに放り投げることもしなかったかもしれない。

あと、楽しかった日々の写真を眺めてニヤニヤするのは、
つらい日々を生きる時の糧になるという意味でも欠かせません(これ重要)。



承認欲求や自慢は、多くの場合言葉で語られたりして、
誰もがやっていることだと思う。
会話の中で、休日に行った場所の話をしたり、人生観を語ったり、音楽の話をしたり。
写真を撮るのも、音楽やるのも、会話をするのも、手法が違うだけの話。

写真撮るでも自分語りするでも、
表参道の路面店でも高円寺の商店街でも、
ジルスチュアートでもBEAMSでもパタゴニアでも、
それぞれがそれぞれのやり方で自己主張をし、承認欲求を満たしているわけで、
少なからず「他人」から見れば何でも異様だし目に付くのは仕方ない。

そういう、自分と違う手法で自己主張を行う人を
やたら批判したくないなあ、と思ったのですわ。



そういや「オーガニックな人がきらい」という意見もあって。
いわゆる森ガールみたいな。
おしゃれで高いカフェでカメラ持って、
妙に値が張るノンオイルの味が薄いランチを食べてるよね、あいつら、っていう。

いやーおもしろいこと言うな~と、大いに笑いました。

でもそう言うと今度は、
仕事帰りにヨガやジムに通い、
休日は有楽町マルイでショッピング、彼氏と広尾でディナーして、
週末有給でハワイ旅行して、ドトールではなくスターバックを好むよね、あいつら、

と言われても文句は言えないよ姐さん、
とか思っていたのはここだけの話です。

そんなこんなで、嫌って言うほど食べ物の写真を並べてお送りいたしました。
美味しいもの見て元気出します。


かしこ。

2013年5月26日日曜日

「それはEscapismです」

心臓が押しつぶされそうである。


どんなに美味しい麦酒を飲んでも、穏やかな家族の風景を見ても
常に何かに追われている感が止むことはない。

美味しさと穏やかを感じれば感じるほど、
追ってくる焦燥感や憂鬱とのコントラストがくっきりして、妙な泣き笑い状態。

美味しいものは美味しい。
この美味しさも、一時の現実逃避でしかないのか。
いや、もはやこっちが現実だろう。と思いたい。
というか、そう思わないと、とてもこれからの人生続けられる気がしない。

いつも真面目になんてやってられね~
と言うほどに、何事もクソ真面目にしかできない不器用さは、
自分がいちばんよくわかっておる。

もっと適当に楽に考えなよ~
と言うくせに、誰よりも適当になりきれず、勝手に悶絶気味になっているのは、
他の誰でもない、この私です。

「ほんまクソですわー!」


また思い出ができる度にどんどん感傷的になっていくもんだから、
そろそろ身も心も保たないんじゃないかと思えてくる。

楽しい思ひ出に押しつぶされるか
何かに追われている感に勝手に押しつぶされるか
いったいどっちでしょうか。

「揚げたイモがこれほど美味しいとは!」
「歩くことがこれほど楽しいとは!」

言葉はなくとも、表情と動きで伝わってくるその純粋な感動は
現実逃避中の私の心に、いちいち染みてきます。

彼にとって世界は希望で溢れている!
こんなにも眩しい希望のかたまりを世に放つは家族のパワー!

先のことを思うとぶっ潰れそうになっている一方、
「この先が楽しみだ」と思わせてくれる存在に出会ってしまったので
まだ押しつぶされるわけにはいかない。いかないんだ・・・・・・・

余裕など全くない。
怖くてぷるぷる震えております。


かしこ

2013年4月22日月曜日

男飯とかズボラ飯とか。


料理が趣味になってきたかもしれない。

なんて大それたことまだ言えた口じゃ無いですけれど、
でも確実に、学生時代に抱いていた「料理」というものへの思いが
じわじわと変化してきているように思うのです。

簡単で、美味くて、健康的で、新鮮であること。
お店で食べたもの、人が作ったもの、テレビで見たもの、一緒に食べたもの。
そういうのを嗜んだり学んだりするのが、とても楽しい。最近。

はて。そう思うようになったのはなぜかしら。
ってことを考えてみた。

夕飯の時間が遅いので

今の生活様式上どうしても仕方ないのですが、
平日の帰宅時間は必然的に早くて20時、だいたいは21時以降です。
そのため夕食をとる時間も、わりと遅め。
しかも疲れてるしすでにお腹ぐーぐーだし、自炊する気分にはとてもなれない。

で、最寄り駅に着き、空腹に耐えかねて、出来あいの惣菜とかパンとか買うじゃないですか。
自宅に着く21時とか22時、それを空腹に身を任せてモリモリ食べるじゃないですか。
すると翌朝の胃もたれ感が、半端ないじゃないですか。
出来あいのものも飽きてくるし、夜遅くの食事は太りやすいし。

で、これだ。

終電ごはん』(と我が食卓の相棒シーチキン)
別に終電で帰っているわけじゃないけど、
ちょっと遅めの帰宅でも、手早くおいしくヘルシーに作って食べられるレシピ満載。

これまでは「料理を作る」というと、
妙に気合入れて、何かと凝ったものを作ろうとする節がありました。
けど、料理というのはいい塩梅に気を抜いたほうが、おいしく楽しく味わえる気がする、
と思うようになったのは、夕飯の時間が遅くなったからかもしれません。

「男子ごはん」が楽しげなので

もともと、我が家はケンタロウのファンでした。
家にレシピ本がいくつかあって、2冊ほどを私が一人暮らしを始める時に持ってきました。
フライパンひとつでうれしい一週間、とか簡単だけど洒落っ気がある、という
ケンタロウのレシピは、私の中では今も昔もバイブルです。


で、テレビ東京の「男子ごはん」って番組がまた好きで。
最近改めて、よく見るようになりました。
今は栗原はるみさんの息子さんである心平ちゃんが出ているけど、
彼のお酒の飲みっぷりの良さとか、たまに手順間違えるテキトーさとか、
国分太一くんと愉快に料理している様子を見るだけで、もうストレス解消です。

女性向けの、綺麗なカフェごはんとか、ファミリー向けのきちんとしたものも良いけど
「料理する」の先に、お酒やそれを一緒に飲む仲間がいる「男子ごはん」。
少しくらいテキトーでも、お酒飲みながらがやがやと楽しく食べられれば良い!
というスタンスは、料理を作るモチベーションを気軽で愉快なものにしてくれました。

ヒドくてもウマそうなので

ヤスナリオさんを知ったのは、とある料理をtumblrで見かけてから。
お茶碗に盛ったごはんに、デーンと目玉焼きウィンナーをのっけたという
これはほんとヒドい。けど、こういうのって実はびっくりするくらい美味しいんですよ。
シンプル・イズ・ザ・ベスト。

そんなヤスナリオさんのブログ「ワインとごはん」は本当おもしろいです。
これこそ手早くウマいもの作って食べたい!っていう夕飯時に重宝しそうなレシピばかり。
ちょうど、「深夜特急めし」という本が発売中らしいので、これは近々欲しい。
先ほどの「終電ごはん」みたいに、夜遅く疲れて帰った日でも、
深夜特急並みにぱぱっと作れるレシピ満載なのだそうな。

自炊っていうと、自分自身で妙にハードル上げてしまいがちなのです。
けど、はみだしウインナー丼でも全然アリだしウマいんだ!ってことに気づけると、
気持ちに余裕ができるし、もっと楽しんでみよう!というゆとりが生まれるから不思議です。

ズボラでもライフ・カルチャーがおもしろいので

そんなヤスナリオさんと渋谷直角氏がコラボした
「渋谷直角の俺のここぞ飯」というちょー気になる連載が組まれているという
料理雑誌「食べようび」が、これまたちょー気になります。

リアルな自炊女子&料理男子の暮らしに根ざした
めんどくさくないレシピを中心に、
服や飲み会、チェックするブログなど
レシピ以外の「食にまつわるストーリー」なんかも紹介しているとのこと。
・・・これはそそられるじゃないですか。

今月号のテーマは「ひき肉ズボラ道」。
ヒドウマ丼とか、ズボラ飯とか、見栄えとか聞こえはよろしくないのかもしれないけど
こういう料理って、非常に現実的で親しみがあるのですよ。一人暮らし自炊生活者としては。
確かに、moco'sキッチンみたいな料理も素敵で憧れるけど、
毎日を美味しく楽しく元気よく過ごすには、ヒドくてズボラなくらいが丁度良いです。

そしてズボラながらにもそこには、服とかお出かけとかネットとか音楽とか、
自分にとって欠かせない暮らしの要素を絡めてみる、
という楽しみ方があるってことに気づいてしまって。
それってなんかもう、すごい楽しくなっちゃうじゃないですか。
料理というジャンルに、渋谷直角氏とか登場しちゃうのでもう楽しくないわけないです。

週末のごはん

料理が趣味です。
とはやっぱりまだ言えないけれど(そこは自信を持てていない中途半端っぷり)
なんやかんやと、キッチンに立ってみたりしています。

一人暮らし仲間のひとりは、最近パスタにハマってて
遊びに行くとよく作ってくれます。
プッタネスカ(通称、娼婦のパスタ。アンチョビとケッパーのトマトソース)とか
ブッテラ(パンチェッタ入りのトマトソースに卵黄を加える)とかを
ササッと作ってみせるものだから、
元パスタ屋(だがホールスタッフ)の私としては、ちと悔しい気持ちもしたりしなかったり。

そんなワタクシの今週の一品。
鮭とキャベツとエリンギをシリコンスチーマーに入れて、
塩と鷹の爪、粉末香菜、ニンニク、酒を適当にふりかけてレンジでチンしただけのもの。
シリコンスチーマーを使ったら負けだという妙な意地を張っていた時期もありますが、
あれやっぱり素晴らしいですね。
蒸し料理はヘルシーだし旨味逃がさないしあったまるので良いです。


さて。散々料理の話をしておいて、
最近はお弁当作りもサボりがちなので全然かっこつきませんな。
がんばれ~

ラブ&ピース&ウマいごはん


かしこ。

2013年4月14日日曜日

ミーハーたちが文化を廻す


母が、例の村上春樹の新著を買ったらしい。
私と同じく、村上ラヂオしか呼んだことのない人が、
発売早々に「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を買ったのだ。
ハルキストを装ったかのような振る舞い。なんということでしょう。

で、いきなりどうしたの、と聞いてみたら、

「ニュースであまりに話題になってるし、
どっかの本屋が『村上春樹堂』になっちゃうくらいだし、
近所の本屋言ったら残り3冊になってたから、もうこれは買うしかないと思っちゃった」
のだそうだ。

見事にメディアと本屋の思うつぼというわけですな!わが母ながら実に潔い!

古くからのハルキストの方々には嫌がられそうでなんだかソワソワしますが、
しかし何かに興味を持って情熱を注ぐようになるきっかけって、
案外そのくらいミーハーなものなのかもしれません。


村上春樹について、外堀を埋めている

そんな村上春樹、私自身まったく詳しくは無いのですが、どうも好き嫌いが分かれるらしい。
(それは村上春樹に限った話ではないか)
で、昨日たまたまこの話題をハイボール片手に話した某氏も、
村上春樹は嫌いなタイプとのことだった。
ただ、
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、あれだけは良い。
羊とかノルウェイとかもう意味わからんけど
とのこと。

何がよくて何が悪いのか詳しいことはよくわからない(覚えてない)けれど、

そう言われると、『世界の~』を読んでみたくなってきたわけです。

私も長らく村上春樹は読まずに生きてきて、前もそんなことを書いていた

とりあえず、村上ラヂオとかケトルの村上春樹特集だけ、中途半端に手を出したりするなど、
もう母以上にたちの悪いミーハーっぷりを発揮していたのですが・・・。
まず最初に手を出すのは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にしようかと思います。
それもいつになることやら。


伊坂幸太郎の「お洒落さ」

そうした流れで、引き続き某氏と小説の話をしていたのだけど、
私が、小学生の頃から伊坂幸太郎が好きだと言うと、
「も~う、小学生で伊坂読んじゃうところでもうあかんね~」と一蹴された件。
アカン!?
なぜあかんのかはよくわからない(覚えてない)けれど、
たぶん例によって、「おしゃれ過ぎる」からなんだろうと思います。
伊坂幸太郎独特の大どんでん返しのかまし方とか、
ところどころボブディランとか音楽を持ちこんできたりとか
作中でよく登場する、かっちょいい名台詞とかが。


 


おそらく村上春樹の作品にしても、
パスタ茹でたり、ビング・クロスビーのホワイトクリスマス聴いたりしてるところが
某氏に言わせると、「あんなんチャラいっすわ!」というところなのだろう。
(ちなみに情報元はケトルです。読んでも無いのにさも読んだ風なことを書いていることをお詫び申し上げます。)


ビーチで読みたい、京極夏彦

さて。そんなこだわりの強い某氏イチオシの作家は、京極夏彦だそうな。
妖怪研究家とかいう、見た目にも胡散臭さは半端じゃないのだが、
その作品自体は非常におもしろいらしい。

京極氏の作品は、いわゆる推理小説でもあるのだが、同時に妖怪小説とも言える。




曰く、現代の推理小説では科学が進歩しているため、

ある事象に対してこういう科学的な原因があるということを基に解決をしていくが、
昔は今ほど科学への理解が成熟していなかったから、
よくわからない不可解な事象については「妖怪の仕業」とすることで解決をしていたらしい。
だから例えば、「なぜか背中や肩が重い」と感じたら
姿勢の悪さとか目の疲れとかによる血行不良でどう、とかではなく、
それは子泣きじじいが憑いているからだ、ということになる。
そういう意味で、推理小説でもあり妖怪小説でもあるという独自の作風が確立しているのだとか。
(というのも、緑茶割を片手に聞いた、超うろ覚えの内容なのでご了承ください)

他にも禅の要素が取り込まれているとか、
なんかいろいろ奥深そうだということはわかりました。(適当)
暑いビーチでのんびり読むには最適な小説らしい。(ほんまかいな)
とはいえ、こう話に聞いてみると、なかなかおもしろそうな気がしたのも事実。

読まずには何とも言えないので、
本当にリゾート感いっぱいの真夏のビーチで読むような本なのか、
一度確かめてみる必要はありそうです。
ほぼ日でも糸井さんと対談していた、京極夏彦さん。


だいたいミーハーだった

という具合に、作家や小説についてそれぞれ勝手に持論を展開してきまして、
この度見事に、私は新たな先入観と偏見を手に入れてしまったわけです。
こんな状態で、村上春樹や京極夏彦を読んでいいものやら、多少悩ましいですが、
まあそれはそれで、充分良いきっかけにはなりそうだ、と思っております。

確かに、読んだり行ったり食べたり、何事も実際に自分で体験する前から、
「これはこういうものだから」、と先入観を持ってしまうのはなかなか厄介なことです。
どこかで仕入れてきた情報や、誰かの武勇伝的体験談を聞いて
さも自分が体験して知っているかのような気になると、
本当に知っている人からしたら、それはもう滑稽に忌々しく映るでしょうし。
何より、生身の体験をしていないから、言うことはどこか地に足が付いていなくて、
自分の頭と心と体で感じる、ということがしにくくなってしまう。
何をしたって結局、表面的な自分にしかなれなかったり。


とはいえ、冒頭でちらりと書きましたが、
何かに興味を持って情熱を注ぐようになるきっかけって、
案外そういうミーハーなものなのかもしれない、とも思うのです。


ビートルズが好きになったのも、「流行っていたから」とか。
ヒッピーになったのも、「周りがみんなそうしてたから」とか。
バックパッカーにはまったのも、「高橋歩の本の世界観に感化されたから」とか。
世界一周旅行したのも、「沢木耕太郎みたいになりたかったから」とか。
一眼レフカメラ買ったのも、「吉祥寺散歩するのにかっこつくから」とか。
装苑読み始めたのも、「何かこれ読んどけばおしゃれっぽいから」とか。
(※あくまで例えの話です)


最初のきっかけは、いわゆる「チャラいっすわ!」っていう動機かもしれない。
最初は「こういうことする俺かっこいい」としか思わないかもしれない。
でもだんだん、本気でそれが好きになって、
寝る時間も恋人との約束も忘れるくらいに情熱を注いで。
そこにかつての自分のような初心者が現れ、さも知ったかのような口聞いていたものなら、
「チャラチャラしやがって、本質もわからんくせに」と怒ってみたり。
そうして気付いたら、怒れるくらいに確かな自分の体験になっているという。
すばらしいじゃないですか。


こうした繰り返しで、世の中の文化は日々循環しているのかもしれません。
そして今日も、かつてミーハーとしてスタートを踏んだ誰かが
今や誰もが知るような、ものすごいものを生み出しちゃったりしていたり。
そんな未知数さもまた、おもしろいものです。


と、そんなことを話したり考える良いネタと機会を与えてくれた愉快な人々よ、
今日もありがとう。


かしこ。

2013年3月31日日曜日

プロローグ:雑貨屋の香りのする女


小中一緒だった、ませた女友達がいましてさ。
お姉ちゃんが二人いる子だったから、やっぱりどこか大人びていたのですよね。
私は彼女から化粧とか、おめかしの類を学びました。
ヘアトリートメントはあれが良い、とか、アイシャドーはあそこのがカワイイ、とか。

おしゃれ心が目覚めるお年頃。愛読書はセブンティーン。
鈴木えみと榮倉奈々、そして木村カエラが読者モデルだった頃の、セブンティーン。
カナヘイと一人称「ウチ」とアヒル口が流行っていた2000年代初期。
中学生の私は、少ないお小遣いを握りしめ、
マジョリカマジョルカとマシェリを買いに、ドラッグストアへと走ったものです。

ある日、PARCOがあるという理由で地元では大都会とされていた某街へ
その友達と一緒に買い物に行った日がありました。中学生の時。
「今日は香水買おうと思ってるんだ」
彼女は言いました。

そうして、前々から目星をつけていたと手に取った香水は
うろ覚えだけれど、確かD&Gのライトブルーだったように思います。
翌週学校で、「さっそく付けてみた。あんまりばれないように、ちょっとだけだけど」と
上品に微笑んだ彼女は、23歳になった今、ますます美しくなっています。



(使い切ったCK be。結婚式でいただいた花で彩りを添えるという猪口才なことをした図)
(奥に見え隠れするのは伯父のお下がりDiorのDune Pour Homme。ほとんど使っていない)


思えば彼女から受けた影響はすごかった。
姉のいない私にとって、身近なおしゃれのお手本は、ライトブルーの彼女でした。
で、私も香水ってものを初めて手に入れました。確か中学3年くらい。
伯父が出張で行くという、台湾かどこかでは香水が安く買えるから
何か欲しい香水あったら買っておくよ、と言ってくれたものだから、
いろんな香水を嗅ぎまくって、決めたのがCK be。

今聞くと、ザ・メンズ香水なのですね、CK beさん。
ヨン様が使ってるだとか、EXILEの誰かが愛用だとか、
なんと男前な逸品を選んだのでしょう、15才のあたくし。
でも、そういう世間体に擦れていない純粋無垢な15才の感性が選んだのだから
素直な選択だったのだと思います。長いことこれ一本でした。

もしかしたらこれまでずっと、
「おっさんの香りするなこいつ」と思われていたかもしれないと思うと
私の中の15才の乙女心がしゅんとしてしまうわけですが。


そんなCK beも、最近使い切ったので、気分転換に何か他のフレグランス的なものを、
と思って買ったのが、なにかしらのオードトワレ。雑貨屋に売ってたもの。
ブランドはよくわからんけど、フランスのものらしい。
オードトワレなので、香水よりもほのかに楽しむものだと思います。

かくして手に入れたオードトワレは、CK beとはうってかわって、
なかなか女性らしいかほりでございますわよ。
もうおっさんの香りとは言わせないわよ。(被害妄想)

でもそのうち、あのこっくりとしたCK beの香りも恋しくなってしまうんだろうな。
とりあえず、しばらくは雑貨屋の香りのする女として生きていきます。
はあ、我ながらちょー痛々しいです。あいたたた。



かしこ



2013年3月30日土曜日

たまには美味い物の話でも。

風邪をひいた。

ので、この土曜は、泥のように休暇に費やして、久々の贅沢気分を味わっています。
とはいえ、そろそろ泥になっているのも飽きてきたので、
美味かったものに思いを馳せてみることにしました。


母の煮豚。これを食べ続けた結果、身長163センチにまですくすくと成長しました。
そのまま食べるのも良い、ご飯もりもりいけます。
炒飯とかラーメンなんかの具にしても美味い。
あと、個人的にやってみてよかったのは、
白髪ネギと茹でたオクラともやし、細切りにしたこの煮豚を酢醤油とラー油で和えたもの。
ビールのつまみにぴったりですよ、お父さん。
油っけが少ないので、夏の食欲の無い時にも、さっぱり食べられてよいかもしれない。
ザ・おふくろの味。



父のパスタ。これはシソのペペロンチーノ。
実はこれともうひとつビーフシチューも作ってあって、
その付け合せという具合で、シンプルなパスタです。
(ビーフシチューにシソ?とは突っ込まないでください。
ウチはカレーと一緒に味噌汁が出る家庭です。)
しかし、男の趣味としての料理は強いですね。
みるみるうちに、いろんなハイレベルな料理を作っちゃってもう。



この冬はじめてスーパーのお惣菜のカキフライ以外の牡蠣を食べましたが、
牡蠣っておいしいんですね。びっくりしました。
ちなみにこの写真は、お皿の色合いと構図がなかなか気に入っています。
どうでもいいですね。



穴子飯。なんと贅沢な一面の穴子。
うなぎと穴子の区別がいまいちわからなかったけど、全然違うんだなと思えた一品です。
弾力?歯ごたえ?があります。タレも、こう、焼き加減とか、その、
気の利いたグルメなコメントできないのでやめます。
ただ一言、間違いなくこれは美味かった。また食べたい。



すさまじく田舎なわけじゃないけど、遊べるほど都会でもない我が愛すべき故郷ですが、
なんか実は洒落たカフェ兼ビアバーが近所にあります。
子供の頃は、キッシュって、あんまり好きじゃなかったんです。
ハンバーグやカレーみたいに、派手な味じゃないからかもしれません。
もっと味にパンチが欲しいぜ!っていう若さがいったん落ち着いた今、
ああ、上品なお味、と思えるようにはなりました。いちおう。

キッシュは前菜。メインはこちら。
なんちゃら豚の角煮(適当)と、ターメリックライス。オッサレー!
奥はこちらのカフェの定番メニュー、カレーです。
このお店は、すてきな奥さん二人だけで切り盛りしています。
一人は厨房、もう一人はホールを。
世界中のいろんなビールを出していて、
いろんな銘柄のコースターやビール瓶が飾られた店内がたのしいです。


さて、お腹が空きました。
体調も回復しているようです。


かしこ。

2013年2月17日日曜日

学祭ライブで鼻血を出した00年代高校生が見たかもしれない景色



タイトルはつまり私ですけれど。

それは2006年とかそのくらいの時のこと。体育館で開催された学祭の前夜祭ライブ。
軽音楽部の高校生バンドマンたちが奏でる、ELLEGARDENとかDragonAshとかORANGE RANGEを聴いてうおーってなってたんですけれど、なにせみっちりと人の詰まった体育館の中、活きの良い高校生たちが放つ熱気はものすごいもんで。たぶん、周囲と自分自身の双方から放たれるむんむんとした熱気に、私の鼻の中の血管は耐えられなかったみたいでした。

今までの人生史上最大級の出血量でした。
鼻血に殺されるかと思った、ほんとうに。

しかしそれもまた、あの頃の青春を色濃く思い起こさせる良き思い出です。
そんな00年代高校生ならではの文化って、
今思うと意外とおもしろい気がするので、ちょっと勝手に、超主観的に、
いろいろ振り返ってみようかと思います。
かつての女子高生のが見た、世代や地方、校風独特のカルチャー臭って、
客観的に見るとなかなか愉快ですぞ。


学生生活

  • プリクラ。変顔文化。その写りの良さ故に涙をのんだ男子も多かったことでしょう。
  • サブバッグはショップバッグ。LOWRYS FARMは鉄板。ちょっと背伸びするとBEAMSになる。
  • 便所サンダルみたいな上履き。油性マジックで落書き。〇〇同盟とか書く。
  • 生徒会はイケてる。文化祭実行委員は特に。
  • 落語研究会(通称オチケン)もイケてる。もはや落語・漫才やってなくてもイケてる人は男女共に所属してる。もちろん全校集会で毎度ネタやる面白い人もいる(野球部と兼部してる人多い)。どっちにしろイケてる集団。
  • 仲良しグループで携帯のホームページを作る。コンテンツは日記とか写メ、掲示板。
  • コンビニで買う紙パックジュース1000mlストロー付き
  • リプトンの紙パック500ml。キャンペーンシールを大量に集めてコレクションにする。
  • 参考書とか入れるプラスチックのキャリーケース。好きなバンドステッカー貼ったり。
  • ディズニーキャラクターのド派手なブランケット。
  • 前髪をでっかいクリップでとめる男女。決して朝寝ぼけてそのまま来ちゃった、というわけではない。
  • UNIQLOから新色カーディガンが発売すると、周りでその色を着た学生が大量出現して気まずい。
  • スラムダンクとワンピース知らないとわりと寂しい感じ。

ファッション

  • 古着がオシャレ。シカゴは神。
  • 憧れはLOWRYS FARMとJEANASiS。
  • 制服、冬だったらカラフルなカーディガンを2枚重ね。古着のよくわからない柄のジャンパーがアウター。ダッフルコートとかPコートはなぜかうちの地元では流行らなかった。
  • 制服、夏だったら半袖シャツの袖をひとつ折る。もしくはポロシャツ。一時期、シャツの裾を結ぶ、もしくはかわいいヘアゴムでしばるスタイルがなぜか流行った。男子はズボンの裾を片方だけロールアップ。腕にはエスニックなブレスレットじゃらじゃらが基本。
  • 制服スカートにニーハイソックス。
  • スクバよりもリュック。OUTDOORの。
  • シャツのボタンを2つ目まで開けるパターンもありつつ、あえて全部きっちり閉めるのもオシャレスタイルとして確立していた。
  • 手にも足にもミサンガ。
  • 足元はコンバースALL STARハイカットとかVANSなど。
  • たまにキティちゃん健康サンダル(男女は問いません)
  • 前髪命(男女は問いません)
  • エクステンションブーム。昨日ショートの子が今日はロングに。駅に一本だけ毛束が落ちてたり。
  • ツートンカラーブーム。右側は黒、左は金髪、とか。
  • 安っぽいカラフルなカチューシャつけてる人いた気がする。
  • とりあえず要所要所アシンメトリーにしとけば良い。

音楽

  • 中学の頃バンプやアジカンかじった人は、そこから派生してロック好きになる印象。
  • バンプ藤原氏と椎名林檎を崇拝している男女多数。
  • カラオケだったら、FLOWとかGO!GO!7188とかモンパチ、シャカラビ。
  • HYのいーず(女性ボーカル)の歌間違いなく流行る。
  • 加藤ミリヤブームがありました。
  • マキシマムザホルモンを聴く自分が嫌いではない。
  • 学祭のライブでELLEGARDENのスターフィッシュ歌うバンドはずるいです。
  • 学祭のライブでORANGE RANGEを歌うバンドは、当時の高校生心をよくわかっている。中学生の頃大ヒットしてけっこう誰もが知っていつつ、曲調もロックっぽさがあって、男子が歌うとカッコつくし、ライブで演奏すりゃ間違いなく盛り上がれるので。
  • 学祭のライブでDragon Ash歌うバンドは尊敬の眼差しで見ていた。
  • 10-FEETに励まされた。
  • YUKIへの漠然とした憧れ。
  • アジカンのゴッチとストレイテナーのホリエさんとエルレの細見さんは仲良しらしいというエピソードが好き。
  • locofrankやdustboxかっこいい。
  • チャットモンチーかわいい。
  • サンボマスターに胸を熱くしたことも。
  • RADWIMPSが現れた時の衝撃。
  • 銀杏BOYZが好きなおかっぱへあの古着っ子女子友達がいた。
  • いわゆるロキノン系・・・?
  • でも正直これまで上げたのは私の超主観なので、実際00年代の高校生が何を好んでいたのかは私もよくわかりません・・・・。


というわけで、
高校時代を00年代に過ごした立場から見てきた「文化」の勝手なまとめでした。

これはあくまで私の見た風景なので、全部がこうとは言えませんが、
こうして自分の世代独自の好きだったもの、こだわっていたこと、流行っていたものを
その頃と比べて少しだけ大人になった今思い出してみるのも、なかなかおもしろいです。
暇な時にやってみると永遠に時間を潰せます。

今度はそれぞれの分野をもう少し深く狭く掘り起こしてみるのも良いかもしれない。
「憧れた人」とか、「音楽」とか、「ファッション」とか・・・

ちなみに写真は、高校の修学旅行で行った沖縄の夕日ですな。
これもまた高2をこじらせていた良い思い出です。


かしこ。

2013年1月26日土曜日

好きな作家の新刊、好きなバンドの新譜、好きな居酒屋の新メニュー、そして母親との電話



母親との電話が、自分史上いちばん饒舌になる気がしています。

家族とは、私が丸裸でこの世に生まれた時から今までを
いちばんよく知っている相手であり、もはや隠せるものが殆ど無い。
そのため、「これを言ったらどう思われるかな?」っていうのを一切気にせず、
いちばん思ったまんまを言えてしまうのです。

特に母親とは、私が年を重ねるにつれてどんどん、
親と子という関係をいったん排除して、お互い個の人間同士として、
「こういう時ってこう思うんだよね」という互いの意見を、
説き伏せたり敵対して批判するとかなく、まっさらな気持ちで聞いて、
話せるようになってきたように感じます。勝手に思ってますすみません。


信頼のある無責任さは、会話を文化的な嗜みにする

たぶんお互いを何やかんやよく知っている者同士なのです、私たち親子というのは。
絆というのももちろんあるし、私もある程度大人になったので(なったよね?)
互いの存在をどしんと構えて信頼できるようになったんじゃないかしら。
だから、たとえ相手が突拍子もないこと言っていても、
「こうは言ってるけど、まあこの人のことだから大丈夫だろう」と、

余裕を持って聞けるようになったのが大きいのだと思います。
この人はこの人で何とかやるものだから、
特にここで干渉したり気を遣うまでもない、と。

「気持ちのよい無責任さが、心地の良い会話を生む。」
・・・うまい言い回しが見つからないので、そう表現しておきます。
気持ちのよい無責任さも、信頼あってこそ、かもしれない。

とはいえ、私のほうがやっぱりまだ子どもなので、
一方的にすきなことしゃべりまくっている気がするけれど。
だから母親として、この娘またクソみたいなことほざいてやがるぜ、
とか思っているかもしれない。すみませんすみません。

でも、逆にこうして親元を離れている環境で、
親の知らない物事をどんどん持ち帰ってきて興奮してものを語る娘の話は、
それが幼稚っぽかったとしても母親としては、
新鮮でなるほどねーとか思ったりも
しませんか。しないかしら、あれ。

お互い今は離れて暮らしているから、
それぞれがそれぞれの、違う環境やペースで生きるようになりました。
だからこそ、今までは何の変哲もなかったような日常の無駄話も、
好きな作家の新刊エッセイを読むような、ちょっと遠いけど馴染みがあり、
かつ新鮮で面白味のある、文化的な会話となるのかもしれません。


好きな作家の新刊を読む時の感覚に似ている

好きな作家、たとえば私は伊坂幸太郎さんがすきです。
伊坂さんの本ならきっとおもしろい、と、
自分の中では圧倒的かつ安定的な信頼があります。
同時に勝手な親近感とか馴染みみたいなものもあります。
だから、その人がどんな小説を書こうが、それはそれとして素直に受け入れられます。

たまに、ちょっとこの内容エグくないか?とか、
なんか難しすぎてよくわからない、とか思うことも無くはないです。
しかしだからといって、彼を批判する気持ちにはならないし、
一言物申してやりたいとも思いません、特に。
「今回はそういうことだったんだな、なるほど新鮮ー」
「おもしろい本を書く人であることはよく知っているし、まあいいか」
で済みます。案外読んでいるうちに、「やっぱおもしれえじゃん!」ってなったりとか。
それは、私が自分の主観的な感覚ではありますが、
伊坂さんを長いこと愛読してきたことと、
そこには勝手ながら「信頼」とか「余裕」の気持ちがあるからなのかなあ、と。

基本、本が相手なので、本と喧嘩や議論はできないしするつもりはない。
あっても感想を述べる、とかそういうこと。
そこには別に干渉とかその作家の存在の否定みたいな感覚は無いし、
特に作家を気遣うこともしない。ただ、淡々と純粋に思ったことを述べるだけ。
だからといって、私とその本の関係は壊れもしない、
というある意味私の一方的な「余裕」と「信頼」。
そしてまた新刊が出たら、それを無垢に楽しみにする。
事実、その本に書かれた文章や話というものは、やはり面白いのだ。
突拍子ない内容でも、こう来たかー、と新鮮で楽しいもの。


これが、母親との電話の感覚と似ている気がしたのです。
好きな作家の新刊エッセイ、もしくは好きなバンドの新譜とか、
好きな居酒屋の季節限定新メニューとも言えるかもしれない。


何が言いたいのかよくわからなくなってきました。
つまりは、母親と電話で話す私は、やたら饒舌で生意気で厚かましいので、
今後もきっとこの語り口調は、母親の前でしか見せられたもんじゃないだろう。
いつもすまん、母。そしてありがとう。これからもヨロシク。


かしこ。

2013年1月5日土曜日

よしわかった、ノスタルジーな気分と共に、自意識というものを振り返ってみよう。


唐突ですが、地元の長野県の中でもオシャレスポット(パルコがあるから)である
松本に、小学校から付き合ってる幼馴染とドライブに行ってきまして、
もはやパルコには定番の本屋さん、ヴィレッジ・ヴァンガードで
渋谷直角さんの「直角主義」って本を買い、今鬼のように読み進めております。

その中に、直角さんの妹さんに焦点を当てたインタビュー「ROCKIN' ON 妹」シリーズがあって、
これ読んだら、あのとにかく、衝撃を受けました。
たぶん、私含め、青春時代にきっと誰しもが通るであろう
自己のアイデンティティへの葛藤や、社会への反抗心、
いわゆるロックな自意識を見事に代弁してくれたインタビューなのです。

具体的には、
岐阜に住む女子高生にとっての「ロック」とは何か。彼女は「ロック」から何を感じ、判断しているのか。そして彼女はどこへ向かっていくのか。
というテーマのもとに展開された

これは、「ロック」を通した兄妹のドキュメントである。

というわけです。
そしてこのインタビューを読む上で要チェックポイントは、

思春期の自分のロック観と照らし合わせたり、ノスタルジーに浸ってもらえれば幸いだ。
っていうことです。
(引用元: ROCKIN' ON 妹|ロベルトノート

つまり、妹さんが言っている音楽論が正しい正しくないは別として、
「自分がセブンティーンの頃、音楽や洋服や自己表現や他人との関係性について
どんな哲学を持って、どれだけ突っ張ったことをして、今考えるとどんなに痛々しかったか」
を思い起こしながら、
小恥ずかしさに思わず声を出して「何言ってんの自分バーカしね!」などと悶えたり、
「何これちょー共感できるんですけど!」と躍動する気持ちを楽しんだり、
「あの頃は、純粋だった。楽しい時代だった。」とノスタルジーに浸ったりできる、
非常に楽しいおかず的なインタビューなのです。

そう、これは「“地方の女子高生のロック観”が映し出す、“自分自身”のドキュメント」であるのだ。

▼ 直角さんの妹さんを通して見る、私の自意識(照)

この妹さん、私よりは3~4歳ほど年下なのだと思います。
けど、妹さんが通ってきた「ロックの道(笑)」や「邪道だと決めつけた音楽の類(笑)」、
そしてその後の「ViViはあり得ん!ファッション論(笑)」は、
個人的なそれとも、それなりに似ていました。

んーと、やっぱり嘘。あんま似てないかも。笑
ただ、系統というか、はまる方向性は似ている、と思う。まあどっちでもいいや。


私が高校生の頃とかはまさに、音楽が自分のアイデンティティでした。
自分が聴く音楽は、自分を表すものと同義。
あと、当時から裏原古着系ファッションとかいうしょっぱい洋服で
他と自分との違いを打ち出すことに情熱をそそぎ、
「なんか他とは違うよね」「センスあるよね」と言われることに
何よりも充足感を味わっていたものでした。

(こういうの作ってしょっぱいホームページ運営していた思い出)

とにかく自分という存在を他とは一線を画して確立させたい気持ちが強かったです。
自分だけは特別だ、周りの馴れ合いとは違うんだ、と信じたかったわけです。
でも、案外このくらいの年齢の少年少女であれば、
きっと誰しもがこういうことを思っているんですよね。
「自分だけは違う。他はみんなつまらない」って、
みんながみんな思っているから、今思えばそんな「特別さ」とか「違い」なんて
単なる夢想でしかない。
そもそもセブンティーンの自分が思っている「みんな」とか「世間」なんて
ほんの一握りに過ぎないわけで。
にも関わらず、すべてをわかった風に強気な発言をしたり、
「誰にも負けない」とか思えてしまうという。
この異常なまでの「自分は最強」感は、
ティーンだからこそ味わえた優越感でもあり、とても楽しいものだったなあ。うむ。

▼ 「誰も知らない」がある意味ステータスとなる音楽

直角さんの妹さんは、椎名林檎とかマリリン・マンソン、ゆらゆら帝国などを
好んで聴いたりしていたようです。(他にもいろいろあったようだけど)
直接的にかぶってはいないけど、たぶん「ロキノン系」をかじっていたところは似ていて、
その流れでいくと、私はELLEGARDENとかGREEN DAYとかマキシマムザホルモンを聴いて
突っ張った気持ちになっておりました。



「パンク」とか「ロック」とか「ハードコア」とか
正式な意味は正直よくわからないけれど、
なんとなく攻撃的で、暗くセンチメンタルで、独創的な音や歌詞を好む傾向がありました。
これは「ちっとも自分のことを理解してくれない世間への反抗」そのものです。
だからこそ私が聴き好む音楽は、みんなが好きだという“ベタな音楽”ではダメで、
「みんなどうしてわかってくれないの?」と絶望と不平を漏らしながらも、
同時に「絶対にわかってもらっちゃいけない音楽」でなければならないのです。
これがある意味、必須の音楽に求めるステータスでした。

ということもあり、
有心論とかが流行る前にRADWIMPSに目を付けた私は、
案の定周りに「誰それ知らない」と言われ一種の特別感を噛みしめつつ、
その後、RADWIMPSが流行りだすと、それをあまり聴かなくなってみたり、
「昔のほうがよかった」などとひねくれたことをほざいたもんです。
いやーー、青春だ(笑)

みんなEXILEとか嵐とか聴きやがってよ。
あれのどこがかっこいい?
みんなしてK-POPとかさ、個性がないじゃん。
セシルマクビーが何なのさ。
みたいなね(笑)
そういう、いわゆる「世間一般」みたいなものへの反抗が
すべてのモチベーションになっている側面は、あったと思う。
むしろそれでしかなかったのかも。ロックが好きだ、とかいうのも、表面的なもんで。

という具合で、基本的に少数派にいなければいけませんでした。
とか思いながら、ストレイテナーとかACIDMANとかホルモンとか、
東京事変とかdustboxとか10-FEETを聴いたりしていたけれど、
今、当時よりは見える世間が広がって、
自分よりもよっぽど個性的な人に出会ってみれば、
ちっとも自分が「他とは違う特別なマイノリティー」ではないことを、
嫌ってほど気づかされるのです。

個人的には突っ張っていると思ったこれらの音楽も、
「その領域」においてはよっぽど王道で、誰もが知っていて、
世の中にはもっとよくわからないような音楽を好んでいる人が
山ほどいるということに気づかされたりしています。

でも逆に、高校卒業してからようやく、
好きな音楽に共感できる友達ができたことはうれしかったです。
それまでは、孤独との葛藤こそが音楽を楽しむスパイスだぜ的な勢いで
意地になってガンガンとアグレッシブな音楽を聴いていました。
けれど、いいなと思えるメロディーやフレーズに対して抱く
純粋な感覚や感情、思いを誰かと同じくすることの楽しさを知るようになりました。

みんなが知っていてもいい。他じゃなくて、自分が好きだと思うことが大事。
特別な孤高の存在でなくていい。みんなと一緒だと楽しいもんだから。
私が知らない誰かの価値観の中に、心揺さぶる感動があったりする。
・・・これが20歳とかそのへん。
今までの価値観をぶっ壊すほどの衝撃的な転換期だったかと思います。

たぶんここで初めて、他を否定することで確立する自己ではなく、
他ありきではなく自分の根本にある衝動や感覚から成る自己というものに
若干気づき始めたり、始めなかったりしたのかもしれません。

それから聴く音楽がセブンティーン時代よりも丸くなってきたり、しましたね。なんてね。

▼ 頑なだった自意識も、案外大したことないねと、はにかむ笑顔はきれいだ

いやはや。非常に楽しくなってまいりましたよ、直角主義、ROCKIN' ON 妹。
まるで自分を見ているかのようでもあり、
無垢で痛々しくて、かわいらしい妹を見るようであり。
かつ、1年に1回年末に行われるこのインタビューも、
回を重ねるごとに、はっきりと、妹さんの成長を感じられるんです。
これは、おそらく自分がたどった成長の軌跡とも、しっくり来る。
来すぎて泣きそう。心臓いたい。

まず、印象的なティーン的発言がこれ。
「どこ行っても、南は少数派なのかなあ、って」
(引用: rockin' on 妹 2011|ロベルトノート

うん。若かりし自意識はこの一言に尽きると思う。
これ私も思っていましたもの、ずっと。
「自分はいつでもどこでもマイノリティー。
みんな私を変わってるって、わかってくれない。
でもこれが何よりも正しい道だって、信じているの。
周りがどう言おうとね。」
的な。 ノスタルジー!

こう気づいて考えることが、一種のステータスであり、
自分の狭い視野の中で悶えながら
どうにか考えた非常に脆いアイデンティティを確立するために絶対通るプロセスだった。

他人との違いの上でしか自己を認識できていないので、
結局他人ありきで、完全な自己のアイデンティティとは言えない自意識。
でもこれが自分の生きる道しるべであり、
当時の、そして今でも自分にとっても大切なフェーズだったと思います。

でも、これで完結じゃないのよね、アイデンティティを探す、人生という名の旅は。

東京に出て、夜間の専門学校に通う妹さん(19)が語る、この言葉。
「・・・・・・・・・高校の時は、南はまわりを見下してたっていうか、そういうところがあったのに、今もみんな仲良くしてくれるし、そういうウザイ人って疎遠になったりするのに、ひさしぶりにmixiやったりすると、すぐコメントくれたりして」・・・「それで、周りの子たちの方が、ずっと大人だったんだな、って思って・・・・・・。それは・・・・・・、みんなバカなのは変わりないけど、自分より全然大人じゃん、って思って。そういうのは、東京来ないとわからなかったことだと思う」
(引用: 「ROCKIN' ON 妹 2012」 直角主義 - 渋谷直角 p.156)

これなんですよね。
妹さん、大人ですね。私19の時はまだここまで考える余裕はなかったです。
きっと私も、いろんな人を勝手に「一般人」というくくりにして、バカにしていました。
自分が特別であるという、おこがましい前提のもと。

思春期に誰もが通る若気の至り的思考のひとつなのだろうけど、
少しずつ、視野も広がって、いろんな人の価値観を垣間見るようになってくると、
今まで他人を見下すようなことをしてきたことが恥ずかしくなります。本当に。

でもきっと、これを話している時の妹さん、
良い顔してたんじゃないかなーと思うんですわ。

ちょっとバカなことしてきたな自分、って気づいて、
申し訳なさそうに、そして今だからこそ少し心にゆとりを持って
はにかんだように自分の幼い体験を語る人は、
きっと多くの共感と好感を集め、その人を魅力的にするんじゃないかと。

決まったね。本日のまとめ。
素直さと謙虚さ、そして自身と世間を見つめる解像度を高めると、
こそばゆい自分の人生も、少しはオモシロくなるかも!?


とはいえ、だいたいオモシロくはないです!
期待はしないぜ!ええ。

かしこ。

ロベルトノート - 渋谷直角のブログ
直角主義 - 渋谷直角

2013年1月1日火曜日

HELLO 2013.


新年だからって、特別なことをするわけでもない。
新年らしい、かっちょいいことを言ってみることもできず。
何しろ、知識をボキャブラリーが少ないし、
年が明けた途端に自分の意識が新たに生まれ変わるわけでもないのだ。
昨日も今日も、特に進歩のないアホ面の自分がぱくぱくとごはんを食べているのみ。
けど今年はちょっと張り切って初日の出を拝むなどしたぞ。
新年一発目の太陽を浴びれば何だか良いことありそうだし、根拠はないけど。

こんにちは2013年。
今年は、あの、もっとかっこよくなりたいですね。
以上!