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2016年9月15日木曜日

雑誌と本屋と情緒

古本屋で1997年の雑誌を買った。久々に雑誌熱が急激に高まったので。

もともと雑誌はすきでちょいちょい買うことはあるんだけど、ファッション誌に関しては最近読む機会が減っていた。ある程度自分の好みも固定されてきて、都度流行のファッションをチェックするということをあまりしなくなったのと、東京に暮らしていれば街の人々を見るだけで何が流行っているのかはなんとなく知ることができるから、というのが大きいと思う。

ただ最近、街でスカートのスリットを前方にして履いてる女性をよく見かけるようになって、あれ?スリットってふつう後ろじゃなかったっけ?ってソワソワしてたのですが、最近は「フロントスリット」と呼ばれふつうに流行しているスタイルらしい。っていうことがあって、ただ街を眺めるだけではなく、根拠のある情報がほしくなって、久々にファッション誌を読んで今時の流行を体系的に勉強してみようかなと思い始めたのが一昨日くらいの話。


本屋の話

定番の人気ファッション誌を久々に読もうと思い、ふらふらと近場にあった本屋に立ち寄った。この本屋は、最近流行りのコンセプト型?本屋で、店内でコーヒー飲めるし雑貨とか売ってて、ちょこちょこ文化人を招いてイベントしたりするみたいなんですね。

まあそれは良いとして、雑誌コーナーに行ってみたら、読もうと思ったnon-noとかSEDAとかSweetが無かった。あれー有名どころの雑誌のはずなのに変だなーおかしいなー、と思ったけど、ここはコンセプト型の本屋。POPEYEの表紙で有名なイラストレーター長場雄氏のイラストTシャツや、廃品で作ったアクセサリーを展開するブランド「NEWSED」が置いてあって、書店員がコーヒーを淹れたりしている。たぶん、意図的にセレクトした雑誌のみを前面に出していて、先にあげた雑誌は当店では積極的に売り出さなくて良いと判断したのかもしれない。コンセプト型だから。


雑誌の話

あとで知ったけど、そもそもSEDAは休刊しているらしい。高校~大学時代にはよく読んでいた雑誌だった。そういえばPSとかCUTiEも今は発売していない。ZipperやSoup.はご健在のようだ。他にも、今大人になった人々が若い頃に親しんできた雑誌はどんどん姿を消しているようだけど、確かに今のインターネット&スマホ時代、わざわざ流行のファッションを学ぶために雑誌を買うってことはしないんだろうな。

それこそ普通に流行を追うんだったら、InstagramとかWEARとか見れば良いわけだし。雑誌にしても、さっきのコンセプト型本屋のように商品の本をコーヒー飲みながら椅子に座って読めるようになってたりするし。わざわざ雑誌を買う必要性はなくなってきているように思う。

でも雑誌はまだ存在し続けている。BRUTUSやPOPEYEをはじめとしたマガジンハウス軍団や、KINFOLKとか&Premiumのようなコンセプト色強めのライフスタイル・カルチャー誌なんかは、一定の人気を得て流行ってると思うし、逆に言うとライフスタイル!カルチャー!みたいな、個性がハッキリした雑誌自体はどんどん増えてきたように感じる。

こういうライフスタイル系の雑誌は、コンセプトがハッキリしているから世界観に共感しやすいし、デザインも洗練されているので、物としてい手に入れたい、残しておきたい、飾っておきたい、という動機にもなる。
雑誌は単に情報を消費できるものとしてというより、世界観の提示とか、物体としての価値がないとなかなか生き残れないっていうことなのかもしれない。

というのは、モノが売れない時代のほげほげ、みたいな話として、最近よく語られている印象があるけど、今回はそれを改めて実感したような気がする。


所感

一般論だけど、ネットやデジタルが主流になり、いろんなサービスが無料で使えるようになった今、あえて物質的なものを購入するという行動には、熱狂的なファン精神とかコレクター精神とか、何かしらの熱量を駆り立てるものが必要なんだろうと思う。
雑誌もそうだし、CDとかカメラとかも同じような感じかも。YouTubeじゃなくてCD、スマホのカメラじゃなくて一眼レフ、のような動機にはきっと、見た目がイケてる!というものもあるだろうし、あのバンドを応援したい!とか、家族の記録をきちんと残したい!とか、こう生きたいぜって思わせる情緒的な要素がありそう。

コンセプト型の本屋にしてみても、単に本を売ります!じゃなくて、ライフスタイル提供します!みたいな場を作ることで、誰かの何かの動機を駆り立て、本を売る以外の形で商売が回せるようになりましたパターンなのかもしれない。実際どうなのかは知らないけど。私もこの本屋でNEWSEDのピアス買ったけど。



なんだか小難しい話になってしまった。結局当初の目的であった今時の流行を学ぶこともできていないし。出直してきます。

2014年2月8日土曜日

シティボーイ&ガールが街へ歩き出す

ずっと書こうと思っていたテーマ。
シティボーイの興隆と、シティガールの台頭。

POPEYEという雑誌を皮切りに、シティボーイ・ファッションについては以前より注目をしておりました。

シティボーイの興隆


男性のファッションとして、「シティ、都会的な」というカテゴリは過去にもあったと思うけど、ここ数年で再び注目され、今になり改めて普及し一般化してきたと思います。
パリやロンドン、ニューヨークのストリートスナップをそのまま持ってきたような、スタンダードかつ、男のこだわりがしつこいくらいに散りばめられたそのスタイル。「すきなものはすき」という頑固な大人の男のセンスが、これでもかというくらいに主張され、ある意味突き抜けすぎていて、日本の街じゃちょっと浮いちゃうくらいの、洒落たファッションだ。

とはいえ、今の御時世、流行やひと目を気にするのではなく、とことん自分のすきなものを貫くのがカッコイイ、という風潮が盛り上がっているわけで。
そういう時代だからこそ、今あらためてシティ・ファッションは受け入れられているのかもしれない。

かくいう私も、「シティボーイ」という言葉を目にすれば思わず足を止め箸を置いたりしちゃうんですが。
そのきっかけは2年ほど前、「この冬はこれを買え」という旬のトレンドを叩きこんでくるような雑誌を読むことがダルくなっていた頃。大学の時は毎月買い込んでいたファッション誌をほとんど買うことが無くなった時に、流行ではなく、「モノの良さ」「スタンダード」「趣味とマニアック」など、ある意味自己満足な世界で、すきなものに囲まれてフフンと我に酔いしれるシティボーイたちのライフスタイルに、驚き、あこがれ、新しい人生の楽しみ方を知ってしまったような衝撃を受けたのであります。

雑誌と疎遠になっていたのが一転、POPEYEを筆頭に、自分の世界を彩る趣味と暮らしの雑誌を読み漁る生活が、今再びやってきているところです。


雑誌はいつだって、その時代を表しているのかもしれません。
もしくは時代の移り変わりをいち早く察知して、新たなコンセプトと共に新たな時代を提案しているのかもしれません。
そういう意味では、今の時代を理解するのに雑誌はとても良い教科書です。
奇抜裏原CUTiE世代が、POPEYE購読を機に雑誌を語る


以前のブログでこう書いてたけど、1年以上経った今、この考えはたぶんそう間違ってなかったかな、と思っています。今のところ。

モテたい・褒められたい、を基準に選ばれていたファッションは、今やもうダサくて、オタクであることや、何かをこじらせていることは恥じるべきことでは無くなってきた。SNSのような自己発信ツールが充実した時代の中では、むしろそういった好きなものや自意識を積極的に公言していくことこそ、逆にカッコイイし、ブレてない、という一種のステータスとなっているのかもしれません。

そういう時代を踏まえた的確なコンセプトとして、今あらためてシティボーイが見直されていて、それを提案する雑誌のひとつがPOPEYEなのかと。


シティガールの台頭



そんなPOPEYEが定着させたシティボーイ・ファッションは、男性の中だけにとどまりません。今年に入り特に感じるのが、「シティガールの台頭」です。

女性こそ、いかに男ウケするか!モテるか!みたいなのが長いこと論争されてきたわけだけど、もうそういうのダサいよ、という流れになってきているのは、下記の記事でも指摘されています。かつこの記事に100以上のはてブがついていることからも、現代において「モテ」を語ることに疑問を投げかける言説が盛り上がってきていることは、それなりに顕著なのではないかと思います。

参考:そろそろ「モテ」とか言ってる女子はヤバい | None.

(蛇足:しかし「女子力」とか「モテ」って言葉も、女性自身から「胡散臭い、うざい」と一方的に否定的な言われ方をするようになっていて、これもどうかと思うんですが、その話は長くなるのでまた今度。)


最近になって女性のファッションも、モテとかフェミニンとか気にせず、「自分がほんとうにすきなものを周りの目など気にせず貫くことが本当の魅力」みたいな視点で語られるようになってきた。そういう世界では、「女子の型にはまらない」、「人と違った独特のオーラを持つ」ということがステータスになっていて、これはシティボーイの兆候と同じだと思います。

が、それも行き過ぎると、昨今よく耳にするようになった「オヤジ女子」とか、「甘いカクテルじゃなくてビールや焼酎飲むんです私」みたいな型に自らハマろうとして、ちょっと本末転倒な現象が起こったりもするんですけどね。

(蛇足:内容こそ違うけど、これ完全に一昔前の「自称天然系」とか「サバサバ女子」と同じことですよね。このへんも長くなりそうなのでまた今度。)


その一方で、女の子はいつでも、ファッションモデルのような「あこがれの女の子」を自分の中で設定していて、その子を参考にファッションやライフスタイルを磨くことに余念がなかったりします。「〇〇ちゃんに雰囲気似てるよね~」と、あこがれのあの子に自分が似ていると言われることに、この上ない喜びを感じたり。
具体的な対象として、自分が目指すべきスタイルがあるので、ライフスタイルにおいて「他人を基準にする」ことの動機が、男性と比較してより顕著な部分はあるように思います。

だから皮肉なことに、他には無い独特の個性に自己を見出そうとしたのに、その点で既に突出していたカリスマモデルをみんながみんな真似するようになるもんで、結局同じようなニット帽にニューバランスのスニーカーを着こなす女子が大量に街中を闊歩するようになるという。

(あれ、でもこれ男性でも同じなのかな?)


シティガール&ボーイの葛藤と希望

「自分は他とは違う」という理想は、何故かいつも、どうあがいたって幻想になってしまうし、周りからどう見られるか、ってのは表向きでは気にしないフリはできても内心どうしたって考えちゃう。

でも、もしみんながみんな「自分は他とは違うし、他人にどう思われようと知らないわ」なんて思ってたら、それはそれで寂しいもんです。みんな同じ社会にいるのに、互いに無関心でいる、なんて悲しいじゃないですか。
で、実際はそうじゃないからこの世には、味わい深い人間模様やくだらない交流が生まれて、ダサくて情けなくても何だか笑えるし、明日も生きようかな、って前向けたりするんじゃないかな、と思うのですけどね。


そうしてファッションでも聴く音楽でも読む本でも、「独自の個性」を追求しながらいろいろ試行錯誤して突っ張ってみたりする中で、同じSupremeのキャップにニューバランスのスニーカーを履いた相手と出くわしてしまったら、互いに顔を見合わせて、「あっ、かぶっちゃったね、へへ」とはにかみながら、「今度、友達がやってる代々木のカレー屋に一緒に行こうよ」と言えた時こそ、本当の楽しさと愛しさと幸福さがやってくると、わりと真剣に思っていたりする。



と、そんな感じでだいぶ大きな話になってしまいましたが、
シティボーイに関する考察としては、以下の記事がおもしろく、参考になりましたよー。




あと数年後、森ガールでもなく山ガールでもなくシティガールでもなく、どんな新しい「ガール」が誕生していくのかも、楽しみですな。


かしこ。

2013年11月10日日曜日

雑誌論:「東京慣れたしもういい大人だし」と言わず、今こそTokyo graffitiを。


Tokyo graffitiを久々に読みました。よく行くハンバーガー屋さんに置いてあったやつ。
大学入学の頃、上京することになった当時はよく読んでいたものです。
「これが憧れのTOKYO LIFEや!」と、隅々まで読みまくって目をキラッキラさせていた。

けど東京暮らしも6年目になり、大学を卒業し、会社に勤めだして2年目。
すっかり東京サラリーマン生活の荒波にもまれるなどして、
ある程度東京という土地にも慣れてきた今、あまり読まなくなってしまったTokyo graffiti。
「現実の東京生活は、そんなにキラキラしたもんばかりじゃねえよなぁ・・・プハ~(エアータバコ)」
とわかったような風を吹かしている始末。
やれやれ、我ながらつまらん大人になりかけたものです。


http://instagram.com/p/f-b28XPBGx/


まあ実際、Tokyo graffitiの読者層って、東京に出てきたばかりだったり、
いよいよ東京遊びの楽しみを知り始め、「トーキョーウェーイ!」ってなる時期の若者が多いのかもしれません。
載っている人も、大学生くらいとか、高校生が多い。
読み始めた頃は「ああかっこいい大人たち」と思っていたけど、
今ストリートスナップとか見て、「いやはや洒落た人だなぁ」と思い、
()に入った年齢を見ると、もはや年下ばかりで驚く。
これで19歳はアカン!と。何がアカンのかわからないけど。
とにかく急激に、アンタもう若くないのよ大人しくしなさいと諭されたかのような感覚に陥るのです。
いや、まだいちおう若いハズなんだKEDONE!


雑誌の描く世界と、自分が現実に生きる世界に、ちょっとした乖離を感じたが故に、
私はこのTokyo graffitiという雑誌から離れてしまったのだと思います。
その乖離に対して「あんなんもうダセーヨ!」という嫉妬と紙一重の負け犬の遠吠えをかましつつ、
「GINZAを読むあたくし」という、新たな夢と希望を抱ける雑誌を拠り所にする。
自分自身の心身の成長と、「大人になった気」の膨らみ具合と、
理想とともに抱く幻想に合わせて、読む雑誌も変わっていく。
大二病の終焉と、社二病の開化。



とはいえ、その時代ごとに常に何かしらをこじらせているのは事実として、
改めて昔好きだったものを読み返したり、聴き返したり、見返したりするのって、
すごく楽しい娯楽だなあ、とも思っております。

「昔」には、少なからず今よりも物を知らない分の純粋さがあって、
そういう無垢な当時の感性が、今の自分を少し浄化してくれたりもする。
あれだけ、「もはやダセー」と思っていたものの中に、
今だからこそ改めて「ハッ」とさせられる何かがある。
どんなダサい嗜好も大事な思い出であり、無条件の愛情を抱き続けているのですわ。きっと。

だからこそ、大人たちは今、小ダサさがあると思った90年代ポップスをエンドレスリピートし、
「若気の至り」の象徴だったようなファッションブランドの再隆起に喜び、
そんな我らが青春時代カルチャーをCOOLとかカワイイとか言う今時の若者に嫉妬してみたりする。



以上のように、我ながら厄介極まりない哲学を巡らせつつ、
Tokyo graffitiを端から端まで読み尽くしていた昼下がりのハンバーガー屋。
そりゃもうたのしいのなんのって。


そんな時に見つけた、一枚の写真。

http://instagram.com/p/gNzdKxPBBv/

ハッ

たぶん、Tokyo graffiti購読全盛期だった頃の私だったら、
受け流していたであろうオシャレでもカッコよくもないこの写真に、
なんとも言えない矛盾と哀愁と、壮大な人生観を感じてしまいました。
過去に大事な人がタバコで身体を患った時の悲しさを忘れられない一方で、
今、若気の至りとかではなく、生活の糧として酒やタバコを嗜む人が周りに増えたからこそ。
この言葉が心臓にぐさっと刺さったままずっと取れなくて困っている。



こんな具合にたぶん、上京したてホヤホヤじゃない今だから気付かされるものって、
過去好きだったアレコレの中に、いろいろ落ちているんだろうな。
そう思ったら、前向いて成長とか新しい刺激とかばっかり求めている場合じゃない。
こりゃ喜んで後戻りしなければ、と、そんな気がして、今日も現実逃避が捗る次第でございます。


かしこ。

2012年11月18日日曜日

奇抜裏原CUTiE世代が、POPEYE購読を機に雑誌を語る

雑誌ってすごいな、って、思います。最近改めて。
今じゃインターネットのあちらこちらにおもしろい情報が落っこちているけど、
どんなにおもしろいWebメディアにも勝てない魅力が、雑誌にはあります。
もちろんWebはWebで、雑誌は雑誌で、それぞれ違った魅力があるものだけれど。

雑誌って、基本的にブレがないと思っています。
いつも安定して、私が興味があるテーマをびしっと当ててきて、盛りだくさん届けてくれる。
もちろん、自分がどんな情報が欲しいのかという前提ありきで
雑誌を選んでいるからってのもあるかもしれないけど、
それでも毎回一貫したテーマでありつつ、飽きさせず、自分も安心して読める。すごいです。

とはいえ、ブレるというか、テーマを一新して今までとは全く違う打ち出し方をする雑誌もある。

たとえば私が経験したのは、CUTiEという雑誌。
あれは私が高校生の頃だったでしょうか。
CUTiEっていえば、奇抜なファッションが目を引いたものです。
いわゆる「古着系」、「裏原系」とか言われるジャンルで、
服の色も柄も着崩し方も、化粧も眉毛も髪の毛もほんとう自由。
白装束みたいなものから、ゴリゴリ民族系、どこぞのパーティーかってものから
アメカジがもっとぶっ飛んだものとか、黒ずくめ、ロック、ガーリー、エトセトラ・・・

うまく言えないけど、ジャンル的には、FRUiTSとかがそれっぽいかも。
FRUiTSに出てて、CUTiEにも出てる人とかも、いた気がする。
(まだFRUiTSってあるんですかね?最近見てないなあ)

いかに自分というキャンバス上で、他とは違う個性を表現するか、に
情熱を持った女の子たちの、いわば作品が詰まった雑誌だったかと思います。
しかし私はどちらかというとZipper派でした。
CUTiEかZipperかといえば、Zipperの方が親しみやすさがあると思っていたからです。
(今思えばどっちもどっちかもしれぬ)

が、しかし。
高校の帰りに近くの本屋で久々にCUTiEを手にとったら、わーびっくり。
あのゴリゴリ系の要素がだいぶ薄まって、というかほぼ皆無で、
なんというのでしょうか、普通に女の子らしいファッション雑誌、って感じになっていました。
そして今や、ローラとか大島優子とかまゆゆが表紙になっていらっしゃるんですよ。わーびっくり。
私が知ってる頃のCUTiEでは、
彼女のような子たちが表紙になるなんて、想像もできませんでした。

確かに、CUTiEは今の形になったほうが、ニーズはあったのかもしれません。
今の若い女子高生、女子大生が着るには良い具合にかわいい感じです。
ただ、個人的にはCUTiEといえば
どこぞのエスキモーの服を借りてきたんですか、っていうような不思議な服を着て、
誰かに「ウケる」ことを一切気にせず、自分の好きなものを着て、
少数でもそれを「いいね」って言ってくれる友だちとまた原宿を闊歩する、っていう
そういう人たちのための雑誌だった時のCUTiEが、嫌いじゃなかったです。

でも、時代の流れなのですかね。
どこぞのエスキモー(あくまで一例)的なファッションは、
現代ではあまりにも市場が小さくなりすぎてしまったのか、
「わかってくれる人にだけわかればいい」では済まなくなったのか、
どういう意図で変わったのか詳しくはわかりません。
私も勝手なことをほざいていますが、
CUTiE的にも何かしら思うところがあったのだと思います。

(ちなみにZipperはわりと相変わらずな感じで安心しました。)


で、ちょーイケメン雑誌「POPEYE」。
ちょっと前に気になっていて今月初めて買ってみました。
男のこだわりあふれたファッション、ライフスタイルが詰まった魅力的なものでした。
ダンディズム。
昔からわりと、メンズ雑誌もよく読むほうでした。
男の人のファッションって、サイズ感とかバランスとか、使う色の組み合わせとか材質とか
そういう細やかなところがすごくきれいだったりするので、とても参考になるのです。
シンプルだけどおしゃれ、見れば見るほど味わい深いおしゃれ、
っていうのは、女の人より男の人のほうが上手い気がします。

そんなわけで「POPEYEやべーちょーやべー」とか言ってたわけですが、
このPOPEYEも、つい最近リニューアルをしたと言うじゃないですか。
以下参照。


「メンズノンノを仮想ライバル視するファッション雑誌だった」というPOPEYE。
1990年代のはじめ頃、バブル崩壊の直前の当時、
昔はどうやったらモテるかとかデートの誘い方とか、
そういう話ばっかり載っていたらしい。
へー、最近にわかPOPEYEファンになった私としては信じられぬ。

今、「シティボーイのための雑誌」というコンセプトで打ち出しているようですが、
これはそもそものPOPEYE創刊当時の原点回帰ともいえる、とのこと。
アメリカ西海岸のライフスタイルを日本に紹介する、と。

上記記事によると、シティボーイとは私の知っているところだと、
YMOとかタモリとか岡本太郎、小沢健二とかだそう。ふーむ。
これからの時代はシティボーイだと、ふーむ。
何かよくわからないけど、とりあえず落ち着いた大人の粋でオシャレでダンディな雑誌
というくらいの理解力ですみません。

ってこともあり、昔はイケてると思ったのに今じゃ・・・とか
昔はチャラかったけど、今はかっちょええ!とか
どっちにしろ雑誌のテイストの変化というのは、案外普通にあることで、
これは自然なことなのかもしれない。

冒頭で私が申した、「雑誌はブレがない」ということも、
ずっと死ぬまで一貫している、というよりは、
「ある時代の区切りの中ではブレがない」と言った方が正確かもしれません。
つまり、時代が変われば、雑誌もそれに合わせて軸を変え、
そして読まれる読者層ともごっそり変えて、そしてまた魅了していく。
また読者である私自身、生きている時代の変化に合わせて、
好む雑誌も変えてきたわけですし。
雑誌と自分の関係は、意外と浮気なところがあったりして。

自分自身、もはやリニューアル前後どっちにしろ、CUTiEは読んでいないし、
ZipperもFRUiTSも読まなくなったし、
その後好きになっては、見向きもしなくなってしまった雑誌も数々。
それは自分も、かっこよく言うと変化しているわけで。いや、退化しているかもしれないし。
まあどちらにせよ、何か本当に核となるものもあるかもしれないけど、
案外ずっと一貫性があるってことはなくって、わりとミーハーなもんです。

つまり、一口にポパイといっても、時代によって雑誌の性格はまったく異なるわけで、あるいは、雑誌の性質が次の時代を準備するといってもいいのだけれど、どっちが先かはよく分からないのだが、何が言いたいかというと、今回のポパイのリニューアルは、何度目かの時代の変わり目にあたる時期での"変身"なのだと云うことである。
(引用元:  「ポパイ」のリニューアルで考える時代の変化----シティボーイは復活するのか、ホントに

なるほど、と思いました。
雑誌はいつだって、その時代を表しているのかもしれません。
もしくは時代の移り変わりをいち早く察知して、新たなコンセプトと共に新たな時代を提案しているのかもしれません。
そういう意味では、今の時代を理解するのに雑誌はとても良い教科書です。

そして、自分自身が好む雑誌というものを俯瞰してみると、
移りゆく今の時代を、自分が如何様に生き抜こうとしているのか、
どんな生き方を選択しようとしているのか、どうありたいと感じているのか、
が見えてくる、かも。

雑誌を通して多様な生き方を提示してもらうことで、
人はそれぞれ自分が心地よく感じる生き方を選び、散り散りに多様化し、絶対の信頼を持つ。
(生き方っつーと大げさだけど、要はどんな服を着るかとか何を食べるか、読むか、聴くか、ということ)
ひとつの媒体につくファン層というのは、マス的に大規模なものもあれば、
非常にマイノリティなものもある。
ただ数が少ないからといって、マイノリティは必要ないことはなくて
それはそれで、誰かの心の支えになっているはずなので、
マス風の派手なことはできなくても、
独自のライフサイクルで持続可能なものにはなると思う。

多数派と少数派という対立軸に置くのはナンセンスですので気をつけたいですが。
とりあえず、AKB48も在日ファンクもビートルズも渋さ知らズも何でもいいけど、
メジャー/マイノリティーとかではなくて、それぞれ一定の大事なファンがいるだろうから、
それぞれのやり方で存在意義を発揮して、独自のコミュニティで楽しみ続けて、
それぞれの見える距離の幸せを掴んでいければいいですね。
そうすりゃ世界は回るんじゃないかと、また勝手なことを思っていますよ。


好きな雑誌を、好きなように読み、
飽きたらまた次を探せばよい!以上。


かしこ