2013年4月22日月曜日

男飯とかズボラ飯とか。


料理が趣味になってきたかもしれない。

なんて大それたことまだ言えた口じゃ無いですけれど、
でも確実に、学生時代に抱いていた「料理」というものへの思いが
じわじわと変化してきているように思うのです。

簡単で、美味くて、健康的で、新鮮であること。
お店で食べたもの、人が作ったもの、テレビで見たもの、一緒に食べたもの。
そういうのを嗜んだり学んだりするのが、とても楽しい。最近。

はて。そう思うようになったのはなぜかしら。
ってことを考えてみた。

夕飯の時間が遅いので

今の生活様式上どうしても仕方ないのですが、
平日の帰宅時間は必然的に早くて20時、だいたいは21時以降です。
そのため夕食をとる時間も、わりと遅め。
しかも疲れてるしすでにお腹ぐーぐーだし、自炊する気分にはとてもなれない。

で、最寄り駅に着き、空腹に耐えかねて、出来あいの惣菜とかパンとか買うじゃないですか。
自宅に着く21時とか22時、それを空腹に身を任せてモリモリ食べるじゃないですか。
すると翌朝の胃もたれ感が、半端ないじゃないですか。
出来あいのものも飽きてくるし、夜遅くの食事は太りやすいし。

で、これだ。

終電ごはん』(と我が食卓の相棒シーチキン)
別に終電で帰っているわけじゃないけど、
ちょっと遅めの帰宅でも、手早くおいしくヘルシーに作って食べられるレシピ満載。

これまでは「料理を作る」というと、
妙に気合入れて、何かと凝ったものを作ろうとする節がありました。
けど、料理というのはいい塩梅に気を抜いたほうが、おいしく楽しく味わえる気がする、
と思うようになったのは、夕飯の時間が遅くなったからかもしれません。

「男子ごはん」が楽しげなので

もともと、我が家はケンタロウのファンでした。
家にレシピ本がいくつかあって、2冊ほどを私が一人暮らしを始める時に持ってきました。
フライパンひとつでうれしい一週間、とか簡単だけど洒落っ気がある、という
ケンタロウのレシピは、私の中では今も昔もバイブルです。


で、テレビ東京の「男子ごはん」って番組がまた好きで。
最近改めて、よく見るようになりました。
今は栗原はるみさんの息子さんである心平ちゃんが出ているけど、
彼のお酒の飲みっぷりの良さとか、たまに手順間違えるテキトーさとか、
国分太一くんと愉快に料理している様子を見るだけで、もうストレス解消です。

女性向けの、綺麗なカフェごはんとか、ファミリー向けのきちんとしたものも良いけど
「料理する」の先に、お酒やそれを一緒に飲む仲間がいる「男子ごはん」。
少しくらいテキトーでも、お酒飲みながらがやがやと楽しく食べられれば良い!
というスタンスは、料理を作るモチベーションを気軽で愉快なものにしてくれました。

ヒドくてもウマそうなので

ヤスナリオさんを知ったのは、とある料理をtumblrで見かけてから。
お茶碗に盛ったごはんに、デーンと目玉焼きウィンナーをのっけたという
これはほんとヒドい。けど、こういうのって実はびっくりするくらい美味しいんですよ。
シンプル・イズ・ザ・ベスト。

そんなヤスナリオさんのブログ「ワインとごはん」は本当おもしろいです。
これこそ手早くウマいもの作って食べたい!っていう夕飯時に重宝しそうなレシピばかり。
ちょうど、「深夜特急めし」という本が発売中らしいので、これは近々欲しい。
先ほどの「終電ごはん」みたいに、夜遅く疲れて帰った日でも、
深夜特急並みにぱぱっと作れるレシピ満載なのだそうな。

自炊っていうと、自分自身で妙にハードル上げてしまいがちなのです。
けど、はみだしウインナー丼でも全然アリだしウマいんだ!ってことに気づけると、
気持ちに余裕ができるし、もっと楽しんでみよう!というゆとりが生まれるから不思議です。

ズボラでもライフ・カルチャーがおもしろいので

そんなヤスナリオさんと渋谷直角氏がコラボした
「渋谷直角の俺のここぞ飯」というちょー気になる連載が組まれているという
料理雑誌「食べようび」が、これまたちょー気になります。

リアルな自炊女子&料理男子の暮らしに根ざした
めんどくさくないレシピを中心に、
服や飲み会、チェックするブログなど
レシピ以外の「食にまつわるストーリー」なんかも紹介しているとのこと。
・・・これはそそられるじゃないですか。

今月号のテーマは「ひき肉ズボラ道」。
ヒドウマ丼とか、ズボラ飯とか、見栄えとか聞こえはよろしくないのかもしれないけど
こういう料理って、非常に現実的で親しみがあるのですよ。一人暮らし自炊生活者としては。
確かに、moco'sキッチンみたいな料理も素敵で憧れるけど、
毎日を美味しく楽しく元気よく過ごすには、ヒドくてズボラなくらいが丁度良いです。

そしてズボラながらにもそこには、服とかお出かけとかネットとか音楽とか、
自分にとって欠かせない暮らしの要素を絡めてみる、
という楽しみ方があるってことに気づいてしまって。
それってなんかもう、すごい楽しくなっちゃうじゃないですか。
料理というジャンルに、渋谷直角氏とか登場しちゃうのでもう楽しくないわけないです。

週末のごはん

料理が趣味です。
とはやっぱりまだ言えないけれど(そこは自信を持てていない中途半端っぷり)
なんやかんやと、キッチンに立ってみたりしています。

一人暮らし仲間のひとりは、最近パスタにハマってて
遊びに行くとよく作ってくれます。
プッタネスカ(通称、娼婦のパスタ。アンチョビとケッパーのトマトソース)とか
ブッテラ(パンチェッタ入りのトマトソースに卵黄を加える)とかを
ササッと作ってみせるものだから、
元パスタ屋(だがホールスタッフ)の私としては、ちと悔しい気持ちもしたりしなかったり。

そんなワタクシの今週の一品。
鮭とキャベツとエリンギをシリコンスチーマーに入れて、
塩と鷹の爪、粉末香菜、ニンニク、酒を適当にふりかけてレンジでチンしただけのもの。
シリコンスチーマーを使ったら負けだという妙な意地を張っていた時期もありますが、
あれやっぱり素晴らしいですね。
蒸し料理はヘルシーだし旨味逃がさないしあったまるので良いです。


さて。散々料理の話をしておいて、
最近はお弁当作りもサボりがちなので全然かっこつきませんな。
がんばれ~

ラブ&ピース&ウマいごはん


かしこ。

2013年4月14日日曜日

ミーハーたちが文化を廻す


母が、例の村上春樹の新著を買ったらしい。
私と同じく、村上ラヂオしか呼んだことのない人が、
発売早々に「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を買ったのだ。
ハルキストを装ったかのような振る舞い。なんということでしょう。

で、いきなりどうしたの、と聞いてみたら、

「ニュースであまりに話題になってるし、
どっかの本屋が『村上春樹堂』になっちゃうくらいだし、
近所の本屋言ったら残り3冊になってたから、もうこれは買うしかないと思っちゃった」
のだそうだ。

見事にメディアと本屋の思うつぼというわけですな!わが母ながら実に潔い!

古くからのハルキストの方々には嫌がられそうでなんだかソワソワしますが、
しかし何かに興味を持って情熱を注ぐようになるきっかけって、
案外そのくらいミーハーなものなのかもしれません。


村上春樹について、外堀を埋めている

そんな村上春樹、私自身まったく詳しくは無いのですが、どうも好き嫌いが分かれるらしい。
(それは村上春樹に限った話ではないか)
で、昨日たまたまこの話題をハイボール片手に話した某氏も、
村上春樹は嫌いなタイプとのことだった。
ただ、
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、あれだけは良い。
羊とかノルウェイとかもう意味わからんけど
とのこと。

何がよくて何が悪いのか詳しいことはよくわからない(覚えてない)けれど、

そう言われると、『世界の~』を読んでみたくなってきたわけです。

私も長らく村上春樹は読まずに生きてきて、前もそんなことを書いていた

とりあえず、村上ラヂオとかケトルの村上春樹特集だけ、中途半端に手を出したりするなど、
もう母以上にたちの悪いミーハーっぷりを発揮していたのですが・・・。
まず最初に手を出すのは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にしようかと思います。
それもいつになることやら。


伊坂幸太郎の「お洒落さ」

そうした流れで、引き続き某氏と小説の話をしていたのだけど、
私が、小学生の頃から伊坂幸太郎が好きだと言うと、
「も~う、小学生で伊坂読んじゃうところでもうあかんね~」と一蹴された件。
アカン!?
なぜあかんのかはよくわからない(覚えてない)けれど、
たぶん例によって、「おしゃれ過ぎる」からなんだろうと思います。
伊坂幸太郎独特の大どんでん返しのかまし方とか、
ところどころボブディランとか音楽を持ちこんできたりとか
作中でよく登場する、かっちょいい名台詞とかが。


 


おそらく村上春樹の作品にしても、
パスタ茹でたり、ビング・クロスビーのホワイトクリスマス聴いたりしてるところが
某氏に言わせると、「あんなんチャラいっすわ!」というところなのだろう。
(ちなみに情報元はケトルです。読んでも無いのにさも読んだ風なことを書いていることをお詫び申し上げます。)


ビーチで読みたい、京極夏彦

さて。そんなこだわりの強い某氏イチオシの作家は、京極夏彦だそうな。
妖怪研究家とかいう、見た目にも胡散臭さは半端じゃないのだが、
その作品自体は非常におもしろいらしい。

京極氏の作品は、いわゆる推理小説でもあるのだが、同時に妖怪小説とも言える。




曰く、現代の推理小説では科学が進歩しているため、

ある事象に対してこういう科学的な原因があるということを基に解決をしていくが、
昔は今ほど科学への理解が成熟していなかったから、
よくわからない不可解な事象については「妖怪の仕業」とすることで解決をしていたらしい。
だから例えば、「なぜか背中や肩が重い」と感じたら
姿勢の悪さとか目の疲れとかによる血行不良でどう、とかではなく、
それは子泣きじじいが憑いているからだ、ということになる。
そういう意味で、推理小説でもあり妖怪小説でもあるという独自の作風が確立しているのだとか。
(というのも、緑茶割を片手に聞いた、超うろ覚えの内容なのでご了承ください)

他にも禅の要素が取り込まれているとか、
なんかいろいろ奥深そうだということはわかりました。(適当)
暑いビーチでのんびり読むには最適な小説らしい。(ほんまかいな)
とはいえ、こう話に聞いてみると、なかなかおもしろそうな気がしたのも事実。

読まずには何とも言えないので、
本当にリゾート感いっぱいの真夏のビーチで読むような本なのか、
一度確かめてみる必要はありそうです。
ほぼ日でも糸井さんと対談していた、京極夏彦さん。


だいたいミーハーだった

という具合に、作家や小説についてそれぞれ勝手に持論を展開してきまして、
この度見事に、私は新たな先入観と偏見を手に入れてしまったわけです。
こんな状態で、村上春樹や京極夏彦を読んでいいものやら、多少悩ましいですが、
まあそれはそれで、充分良いきっかけにはなりそうだ、と思っております。

確かに、読んだり行ったり食べたり、何事も実際に自分で体験する前から、
「これはこういうものだから」、と先入観を持ってしまうのはなかなか厄介なことです。
どこかで仕入れてきた情報や、誰かの武勇伝的体験談を聞いて
さも自分が体験して知っているかのような気になると、
本当に知っている人からしたら、それはもう滑稽に忌々しく映るでしょうし。
何より、生身の体験をしていないから、言うことはどこか地に足が付いていなくて、
自分の頭と心と体で感じる、ということがしにくくなってしまう。
何をしたって結局、表面的な自分にしかなれなかったり。


とはいえ、冒頭でちらりと書きましたが、
何かに興味を持って情熱を注ぐようになるきっかけって、
案外そういうミーハーなものなのかもしれない、とも思うのです。


ビートルズが好きになったのも、「流行っていたから」とか。
ヒッピーになったのも、「周りがみんなそうしてたから」とか。
バックパッカーにはまったのも、「高橋歩の本の世界観に感化されたから」とか。
世界一周旅行したのも、「沢木耕太郎みたいになりたかったから」とか。
一眼レフカメラ買ったのも、「吉祥寺散歩するのにかっこつくから」とか。
装苑読み始めたのも、「何かこれ読んどけばおしゃれっぽいから」とか。
(※あくまで例えの話です)


最初のきっかけは、いわゆる「チャラいっすわ!」っていう動機かもしれない。
最初は「こういうことする俺かっこいい」としか思わないかもしれない。
でもだんだん、本気でそれが好きになって、
寝る時間も恋人との約束も忘れるくらいに情熱を注いで。
そこにかつての自分のような初心者が現れ、さも知ったかのような口聞いていたものなら、
「チャラチャラしやがって、本質もわからんくせに」と怒ってみたり。
そうして気付いたら、怒れるくらいに確かな自分の体験になっているという。
すばらしいじゃないですか。


こうした繰り返しで、世の中の文化は日々循環しているのかもしれません。
そして今日も、かつてミーハーとしてスタートを踏んだ誰かが
今や誰もが知るような、ものすごいものを生み出しちゃったりしていたり。
そんな未知数さもまた、おもしろいものです。


と、そんなことを話したり考える良いネタと機会を与えてくれた愉快な人々よ、
今日もありがとう。


かしこ。