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2019年7月6日土曜日

冒険

極夜行を読んだ。

冒頭は出産シーン。なんとまあひとりの小さな人間が大気圏に飛び出しこの世に誕生することの壮絶さよ、と不覚にも涙腺が緩んだところから始まり、途中いつ死んでもおかしくない状況にこんな冒険自分にゃ到底できそうにないなと遠い目をしつつ、でも犬がかわいくて、終盤もう間も無く太陽が昇るという場面ではつい焦る気持ちを抑えられず自然とページをめくる速度が上がり、気付いたらあっという間に読み終わっていた。

冒険とは何か、極夜を経て見る太陽の光とは何か。冒頭からラストにかけて著者が思い至った答えが、なんとなく今の自分に身近なテーマだったからか、夢中になって読んでしまった。このタイミングで読めてよかったと思う。

写真はビリヤニです。

2015年1月11日日曜日

読書01

閉塞感の中で悟り開きそうな時期が続き、顔がヤバいと言われることが多々あったので、
昨年末あたりからすがる思いで本を読み始めました。
ので、不定期で読んだ本を記録していきます。ジャンルは問いません。


追いかける指標を正しく選ぶことが勝利につながる、という話。
だいぶ前に勧めてもらったけど、長らく無気力肯定ビジネスの餌食状態だったので全く読む気が起こらず。
ずっと積読状態だったけど閉塞感に耐えられず読んでみたら、
「耳に痛い情報を持ってくる人物を絶対に遠ざけない」ことが閉塞感を打ち破ることにつながる、
って書かれていたのでギャーーー!!!!と叫びました(心の中で)。
以来、好き嫌いせずいろいろ本を読んでみようかしら、と思うようになりました。ありがとうございます。


人間関係に悩んだら読むと良い本、ということで勧めてもらいました、ありがとうございます。
自己欺瞞に陥り、自分を正当化しようと偏った主観を持ち出すことで、
周りに対してコノヤロウと、攻撃的な眼差しを向けがちな時に読みたい。



自分で優先順位を決めなければ他人の言いなりになってしまう。
いざという時、何を大事にするか。きちんと見極め実行するための方法が書かれた本。
「本読みたい本読みたい」と言っていたら勧めてもらいました、ありがとうございます。
考えたり寝る時間を無下にして、多忙=有能と思いがちな時に読みたい。



たまに小説って読みたくなるじゃないですか。今流行りの森博嗣S&Mシリーズ。



現状とてもマーケッターだなんて名乗れないアタクシは今路頭に迷っている。



難解な社会学をちょっとかじってみたい、という時に。(個人的にこれも十分難解だが)
社会を生きる上で、「いい学校・いい会社・いい人生」のステレオタイプを真に受けずに、
「自分はこれさえあれば幸せ」というものを見つける試行錯誤をサボっちゃいけない、という話とか。
読んでると所々、著者の主観が入ってる部分があるような気がしたりしなかったり。



本の内容や常識、誰かに言われたことを鵜呑みするのではなく、
自分なりのものの見方や考えを、論理的に筋道が通る形で展開するための方法が紹介されてる。

たまたま大学時代の参考書が入った箱を漁ってたら見つけたんだけど、
何の授業の参考書だったんだ?全然思い出せない。
付箋とかマーカー引いてあるけど、もはや読んだ覚えも全くない。
けど今改めて超かじりついて読んでいる。


蛇足

たとえば音楽を年代ジャンル問わずごちゃごちゃ聴きまくっている時に楽しいのが、
全然別のアーティスト同士の歌い方やリズムの取り方に共通点があることに気付いたり
意外な接点があることを発見して、勝手にルーツを感じてテンション上げることなんですけど、
読書にも同じようなところあるな、と思いました。

前に読んだ本と似たようなこと言ってるぞこりゃ、という発見が積み重なってくると、
閉塞感の中で悟り開かずに済む考え方が見つかるかもしれない。


かしこ。

2013年4月14日日曜日

ミーハーたちが文化を廻す


母が、例の村上春樹の新著を買ったらしい。
私と同じく、村上ラヂオしか呼んだことのない人が、
発売早々に「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を買ったのだ。
ハルキストを装ったかのような振る舞い。なんということでしょう。

で、いきなりどうしたの、と聞いてみたら、

「ニュースであまりに話題になってるし、
どっかの本屋が『村上春樹堂』になっちゃうくらいだし、
近所の本屋言ったら残り3冊になってたから、もうこれは買うしかないと思っちゃった」
のだそうだ。

見事にメディアと本屋の思うつぼというわけですな!わが母ながら実に潔い!

古くからのハルキストの方々には嫌がられそうでなんだかソワソワしますが、
しかし何かに興味を持って情熱を注ぐようになるきっかけって、
案外そのくらいミーハーなものなのかもしれません。


村上春樹について、外堀を埋めている

そんな村上春樹、私自身まったく詳しくは無いのですが、どうも好き嫌いが分かれるらしい。
(それは村上春樹に限った話ではないか)
で、昨日たまたまこの話題をハイボール片手に話した某氏も、
村上春樹は嫌いなタイプとのことだった。
ただ、
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、あれだけは良い。
羊とかノルウェイとかもう意味わからんけど
とのこと。

何がよくて何が悪いのか詳しいことはよくわからない(覚えてない)けれど、

そう言われると、『世界の~』を読んでみたくなってきたわけです。

私も長らく村上春樹は読まずに生きてきて、前もそんなことを書いていた

とりあえず、村上ラヂオとかケトルの村上春樹特集だけ、中途半端に手を出したりするなど、
もう母以上にたちの悪いミーハーっぷりを発揮していたのですが・・・。
まず最初に手を出すのは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にしようかと思います。
それもいつになることやら。


伊坂幸太郎の「お洒落さ」

そうした流れで、引き続き某氏と小説の話をしていたのだけど、
私が、小学生の頃から伊坂幸太郎が好きだと言うと、
「も~う、小学生で伊坂読んじゃうところでもうあかんね~」と一蹴された件。
アカン!?
なぜあかんのかはよくわからない(覚えてない)けれど、
たぶん例によって、「おしゃれ過ぎる」からなんだろうと思います。
伊坂幸太郎独特の大どんでん返しのかまし方とか、
ところどころボブディランとか音楽を持ちこんできたりとか
作中でよく登場する、かっちょいい名台詞とかが。


 


おそらく村上春樹の作品にしても、
パスタ茹でたり、ビング・クロスビーのホワイトクリスマス聴いたりしてるところが
某氏に言わせると、「あんなんチャラいっすわ!」というところなのだろう。
(ちなみに情報元はケトルです。読んでも無いのにさも読んだ風なことを書いていることをお詫び申し上げます。)


ビーチで読みたい、京極夏彦

さて。そんなこだわりの強い某氏イチオシの作家は、京極夏彦だそうな。
妖怪研究家とかいう、見た目にも胡散臭さは半端じゃないのだが、
その作品自体は非常におもしろいらしい。

京極氏の作品は、いわゆる推理小説でもあるのだが、同時に妖怪小説とも言える。




曰く、現代の推理小説では科学が進歩しているため、

ある事象に対してこういう科学的な原因があるということを基に解決をしていくが、
昔は今ほど科学への理解が成熟していなかったから、
よくわからない不可解な事象については「妖怪の仕業」とすることで解決をしていたらしい。
だから例えば、「なぜか背中や肩が重い」と感じたら
姿勢の悪さとか目の疲れとかによる血行不良でどう、とかではなく、
それは子泣きじじいが憑いているからだ、ということになる。
そういう意味で、推理小説でもあり妖怪小説でもあるという独自の作風が確立しているのだとか。
(というのも、緑茶割を片手に聞いた、超うろ覚えの内容なのでご了承ください)

他にも禅の要素が取り込まれているとか、
なんかいろいろ奥深そうだということはわかりました。(適当)
暑いビーチでのんびり読むには最適な小説らしい。(ほんまかいな)
とはいえ、こう話に聞いてみると、なかなかおもしろそうな気がしたのも事実。

読まずには何とも言えないので、
本当にリゾート感いっぱいの真夏のビーチで読むような本なのか、
一度確かめてみる必要はありそうです。
ほぼ日でも糸井さんと対談していた、京極夏彦さん。


だいたいミーハーだった

という具合に、作家や小説についてそれぞれ勝手に持論を展開してきまして、
この度見事に、私は新たな先入観と偏見を手に入れてしまったわけです。
こんな状態で、村上春樹や京極夏彦を読んでいいものやら、多少悩ましいですが、
まあそれはそれで、充分良いきっかけにはなりそうだ、と思っております。

確かに、読んだり行ったり食べたり、何事も実際に自分で体験する前から、
「これはこういうものだから」、と先入観を持ってしまうのはなかなか厄介なことです。
どこかで仕入れてきた情報や、誰かの武勇伝的体験談を聞いて
さも自分が体験して知っているかのような気になると、
本当に知っている人からしたら、それはもう滑稽に忌々しく映るでしょうし。
何より、生身の体験をしていないから、言うことはどこか地に足が付いていなくて、
自分の頭と心と体で感じる、ということがしにくくなってしまう。
何をしたって結局、表面的な自分にしかなれなかったり。


とはいえ、冒頭でちらりと書きましたが、
何かに興味を持って情熱を注ぐようになるきっかけって、
案外そういうミーハーなものなのかもしれない、とも思うのです。


ビートルズが好きになったのも、「流行っていたから」とか。
ヒッピーになったのも、「周りがみんなそうしてたから」とか。
バックパッカーにはまったのも、「高橋歩の本の世界観に感化されたから」とか。
世界一周旅行したのも、「沢木耕太郎みたいになりたかったから」とか。
一眼レフカメラ買ったのも、「吉祥寺散歩するのにかっこつくから」とか。
装苑読み始めたのも、「何かこれ読んどけばおしゃれっぽいから」とか。
(※あくまで例えの話です)


最初のきっかけは、いわゆる「チャラいっすわ!」っていう動機かもしれない。
最初は「こういうことする俺かっこいい」としか思わないかもしれない。
でもだんだん、本気でそれが好きになって、
寝る時間も恋人との約束も忘れるくらいに情熱を注いで。
そこにかつての自分のような初心者が現れ、さも知ったかのような口聞いていたものなら、
「チャラチャラしやがって、本質もわからんくせに」と怒ってみたり。
そうして気付いたら、怒れるくらいに確かな自分の体験になっているという。
すばらしいじゃないですか。


こうした繰り返しで、世の中の文化は日々循環しているのかもしれません。
そして今日も、かつてミーハーとしてスタートを踏んだ誰かが
今や誰もが知るような、ものすごいものを生み出しちゃったりしていたり。
そんな未知数さもまた、おもしろいものです。


と、そんなことを話したり考える良いネタと機会を与えてくれた愉快な人々よ、
今日もありがとう。


かしこ。

2012年9月11日火曜日

村上ラヂオと、心地良い文体について


村上春樹って、おもしろいですね。
と言っても、村上ラヂオしか読んだことないので、あまり偉そうに大声に出して言えませんが。
話題のノルウェイの森とか、1Q84とか、おもしろいと聞くけど、読まずにうだうだここまで来ました。
たぶん、村上作品は好きなはずです。

なぜ読んだことも無いのにそう思うかといえば、
大学の時、唯一シンパシーを感じられて心からワクワクできる授業をやってくれる教授がいて、
その教授がとても村上春樹ファンだったからです。
その教授は、授業で村上春樹のことをよく取り上げていたし、
自分で村上春樹をテーマにした著書さえも出版しておりました。

私自身はその教授の考え方にすごく通じるものを感じたし、
話すことや生き方の雰囲気がなんだか好きだったから、
きっと自分も村上春樹は好きなんだろう、とずっと勝手に思っていました。
ある意味それで満足してしまったのもあって、
特に「さあ、読んでみよう」と強い意思を持ったことはありませんでした。おかしな話ですが。
「読まずもがな、わかるがな」という謎の意地ともなんともつかない頑固さを貫いてきたわけです。

とはいえ、そろそろおとなになったし(関係ない)、
村上のひとつやふたつ読んでみるかと、偉そうに手にとったのが、まさかの村上ラヂオですみません。
小説は・・・けっこう読むのに気合い要りそうだから(また食わず嫌い)。
エッセイくらいであれば、サクッと気軽に読めて、
かつ作家の感性や人柄みたいなものも、わりとわかりやすいだろうと思って。
いちおう考えた上での、村上ラヂオという選択ですのであしからず。

初めてきちんと読んだ村上春樹の文章、なんだい、とてもおもしろいですね。
すごい、なんというか、センスがすごいです。
私の貧しい表現力では説明できませんので、細かい感想は全力で割愛させていただきます。

とにかく、するするっと読めてしまいました。
これならこたつで豆せんべい食べながらうなだれている時でも、
ぺろっと読めてしまいそう。しかも楽しく。

きっと、人にはしっくりくる枕がそれぞれあるように、
読み心地にしっくりくる文章とか語り方みたいなものがそれぞれあるんだと思います。
読んでいても全く疲れない感じ。

私は糸井さんのことはすきですが、正直糸井さんの書く文章はずっと長くは読んでいられません。
よくあるビジネス書の類やいわゆるマーケティング本みたいのものも、
読みたい気持ちに反して、相当の気合いとスタミナが無いとなかなか読めません。
吉本隆明も、なんかすごい良いこと言っている気持ちはするけど、難しくて白目むきながら読みますし。
森見登美彦の文体はけっこう好き嫌いあって読みづらい感じですが、意外と平気です。
伊坂幸太郎はもちろん、いくらでも読んでいられます。

そんなわけで、どれだけ量を読んだか、時間をかけて読んだか、
内容を理解したか、読みたい気持ちが大きいか、はあんまり関係なく、
時にはまともに読んでいなくとも、心地よく感じる作家とか文章が存在したりします。
だから読書とか、文学とかに関しては、
もちろん知識だとか量も大事なひとつの要素になると思うけれど、
本当にフィーリングでしかない感覚とかってものも、案外大事なものなんじゃないかなと思います。

久々に、文系人間ぽいことを言ってみました。
ちなみに文系、理系というくくりはどれほど意味を成すのか、
もはやよくわからないので、最近は安易に口にし難いなあとか思ってます。
まあ、そんなところです。

かしこ