2012年9月11日火曜日
村上ラヂオと、心地良い文体について
村上春樹って、おもしろいですね。
と言っても、村上ラヂオしか読んだことないので、あまり偉そうに大声に出して言えませんが。
話題のノルウェイの森とか、1Q84とか、おもしろいと聞くけど、読まずにうだうだここまで来ました。
たぶん、村上作品は好きなはずです。
なぜ読んだことも無いのにそう思うかといえば、
大学の時、唯一シンパシーを感じられて心からワクワクできる授業をやってくれる教授がいて、
その教授がとても村上春樹ファンだったからです。
その教授は、授業で村上春樹のことをよく取り上げていたし、
自分で村上春樹をテーマにした著書さえも出版しておりました。
私自身はその教授の考え方にすごく通じるものを感じたし、
話すことや生き方の雰囲気がなんだか好きだったから、
きっと自分も村上春樹は好きなんだろう、とずっと勝手に思っていました。
ある意味それで満足してしまったのもあって、
特に「さあ、読んでみよう」と強い意思を持ったことはありませんでした。おかしな話ですが。
「読まずもがな、わかるがな」という謎の意地ともなんともつかない頑固さを貫いてきたわけです。
とはいえ、そろそろおとなになったし(関係ない)、
村上のひとつやふたつ読んでみるかと、偉そうに手にとったのが、まさかの村上ラヂオですみません。
小説は・・・けっこう読むのに気合い要りそうだから(また食わず嫌い)。
エッセイくらいであれば、サクッと気軽に読めて、
かつ作家の感性や人柄みたいなものも、わりとわかりやすいだろうと思って。
いちおう考えた上での、村上ラヂオという選択ですのであしからず。
初めてきちんと読んだ村上春樹の文章、なんだい、とてもおもしろいですね。
すごい、なんというか、センスがすごいです。
私の貧しい表現力では説明できませんので、細かい感想は全力で割愛させていただきます。
とにかく、するするっと読めてしまいました。
これならこたつで豆せんべい食べながらうなだれている時でも、
ぺろっと読めてしまいそう。しかも楽しく。
きっと、人にはしっくりくる枕がそれぞれあるように、
読み心地にしっくりくる文章とか語り方みたいなものがそれぞれあるんだと思います。
読んでいても全く疲れない感じ。
私は糸井さんのことはすきですが、正直糸井さんの書く文章はずっと長くは読んでいられません。
よくあるビジネス書の類やいわゆるマーケティング本みたいのものも、
読みたい気持ちに反して、相当の気合いとスタミナが無いとなかなか読めません。
吉本隆明も、なんかすごい良いこと言っている気持ちはするけど、難しくて白目むきながら読みますし。
森見登美彦の文体はけっこう好き嫌いあって読みづらい感じですが、意外と平気です。
伊坂幸太郎はもちろん、いくらでも読んでいられます。
そんなわけで、どれだけ量を読んだか、時間をかけて読んだか、
内容を理解したか、読みたい気持ちが大きいか、はあんまり関係なく、
時にはまともに読んでいなくとも、心地よく感じる作家とか文章が存在したりします。
だから読書とか、文学とかに関しては、
もちろん知識だとか量も大事なひとつの要素になると思うけれど、
本当にフィーリングでしかない感覚とかってものも、案外大事なものなんじゃないかなと思います。
久々に、文系人間ぽいことを言ってみました。
ちなみに文系、理系というくくりはどれほど意味を成すのか、
もはやよくわからないので、最近は安易に口にし難いなあとか思ってます。
まあ、そんなところです。
かしこ