2012年7月5日木曜日

痛々しく異様なインターネットを、人間的で趣深い文化として楽しんでみること。

日々こうしてインターネットにまみれて過ごしていると、いろいろな違和感を感じる場面が多いのです。
今日はインターネット周辺の、うさんくさいなあ、と思ってしまう諸々を、
この場をお借りして吐き出しつつ、そんな「うさんくささ」を「人間くさい愛嬌のある文化」として消化していこうかと。
つまりは本日の文章は、完全なる自己満足・自己解決の勝手気ままなものですので、
アホだなあ、と思いつつ流し見ていただければと思います。


■きれいすぎるインターネットの痛々しい本性。
ネットの中では、思う存分、ここぞとばかりに愚痴や不満や批判を垂れ流して
誰かを巻き込み、ひっちゃかめっちゃかに暴れて、
どうにもならないもつれを生じさせるような、腹黒い側面が良くも悪くも醍醐味です。
しかし、SNSとかなんちゃらで、ネット上の自分がわりとパブリックに透明になったために、
今度はとことん清く正しく美しく、ユーモアが通じて人当たりがよくて前向きな側面を
超積極的に押し出す傾向が見られるようになりました。
でもそれにも限界が見え隠れしている。
ここらへん最近だと各方面で既に言われてきたことだと思います。

今日はこの記事が話題になっていました。
『誰でもできるインターネットの始め方|オモコロ特集』

これ、非常におもしろかったです。
どこがって、夢と希望にあふれていたはずの僕らのインターネットの、
非常に残念で痛々しい部分を、センスの良いジョークで、
ひとつの趣深い文化的な視点を示してくれていること。
それによって、私はこのうさんくさい陰湿なインターネットを嫌いになるどころか、
クセのある粋なカルチャーとして、それはそれで親しみ楽しむことができています。

「自傷情報交換サービス」のTwitter。
「糸井重里を寒天で固めたような集団」のFacebook。
寄付を乞うwikipedia。
非常に秀逸な皮肉。

「インターネットで時間を浪費することが精神的な自傷行為」。
それに対する「言い得て妙」の声の主は、
自身も自傷行為的なインターネットに身を投じているわけだが、
妙に納得しちゃって、怒ったり落ち込んだりするどころか、「ワロタw」とおもしろがっている。
私もそんな自傷行為にうつつを抜かしながら、ワロタwとぬかしているこれまた自虐的な人間の一人です。


■痛々しく異様なインターネットを、一種の人間的文化として楽しむ。
インターネットは夢と希望でいっぱいな一方で、気持ち悪いし、こわいです。
でもそれがある意味、富士急ハイランドの戦慄迷宮にハマるような、
マキシマムザホルモンにハマるような、特有の魅力があります。
なんだか真っ当さが無くて引け目を感じるんだけど、
そのひねくれた感じだおもしろいというか、
またそのひねくれた自分も嫌いじゃないというか。
もしかしたら変態とか言われちゃうようなことって、
意外と人間はみんな、大好きなんだろうな、と。

そういう人間の興味深い心理とかが垣間見れるから、
インターネットっておもしろいです。

私は、インターネットを通して、人間の勉強をしているんだと思うんです。
いや、インターネットだけじゃないか。
たぶん今こうして、PCの画面を眺めたり、
仕事をしたり、ビールを飲んだり、スポーツしたりなんやかんやすることの根本にあるのは、
自分もしくはそれ以外の「人間」というものへの興味関心なのかな、と。
自分が人間であることの楽しみを、人生をかけて模索して研究して、
じっくり独自のカルチャーを生み出して生きていくのかな、とかなんとか考えました。


そんな感じで、もうひとつ。本日はこちらの記事もとても楽しく読みましたよ。
異様なところに「触覚」を伸ばせ (第5回) マーケッターの「人生」に問いかける本:菅原和孝『身体の人類学』|PRESIDENT Online


うさんくさいことも、呆れることも、
また人間が変なことしでかしたもんだ、と
それはそれで趣としてたのしむ余裕が生まれると、
変に流されずに、人生愉快に過ごせるかもしれない。

きれいな型に落ち着かなくても良い。
適当にアホに生きたもん勝ちな気がします。
尊敬する恩師を見ていても、そう思います。

そんな今夜に捧げる音楽はこちら。




かしこ