2014年2月8日土曜日

シティボーイ&ガールが街へ歩き出す

ずっと書こうと思っていたテーマ。
シティボーイの興隆と、シティガールの台頭。

POPEYEという雑誌を皮切りに、シティボーイ・ファッションについては以前より注目をしておりました。

シティボーイの興隆


男性のファッションとして、「シティ、都会的な」というカテゴリは過去にもあったと思うけど、ここ数年で再び注目され、今になり改めて普及し一般化してきたと思います。
パリやロンドン、ニューヨークのストリートスナップをそのまま持ってきたような、スタンダードかつ、男のこだわりがしつこいくらいに散りばめられたそのスタイル。「すきなものはすき」という頑固な大人の男のセンスが、これでもかというくらいに主張され、ある意味突き抜けすぎていて、日本の街じゃちょっと浮いちゃうくらいの、洒落たファッションだ。

とはいえ、今の御時世、流行やひと目を気にするのではなく、とことん自分のすきなものを貫くのがカッコイイ、という風潮が盛り上がっているわけで。
そういう時代だからこそ、今あらためてシティ・ファッションは受け入れられているのかもしれない。

かくいう私も、「シティボーイ」という言葉を目にすれば思わず足を止め箸を置いたりしちゃうんですが。
そのきっかけは2年ほど前、「この冬はこれを買え」という旬のトレンドを叩きこんでくるような雑誌を読むことがダルくなっていた頃。大学の時は毎月買い込んでいたファッション誌をほとんど買うことが無くなった時に、流行ではなく、「モノの良さ」「スタンダード」「趣味とマニアック」など、ある意味自己満足な世界で、すきなものに囲まれてフフンと我に酔いしれるシティボーイたちのライフスタイルに、驚き、あこがれ、新しい人生の楽しみ方を知ってしまったような衝撃を受けたのであります。

雑誌と疎遠になっていたのが一転、POPEYEを筆頭に、自分の世界を彩る趣味と暮らしの雑誌を読み漁る生活が、今再びやってきているところです。


雑誌はいつだって、その時代を表しているのかもしれません。
もしくは時代の移り変わりをいち早く察知して、新たなコンセプトと共に新たな時代を提案しているのかもしれません。
そういう意味では、今の時代を理解するのに雑誌はとても良い教科書です。
奇抜裏原CUTiE世代が、POPEYE購読を機に雑誌を語る


以前のブログでこう書いてたけど、1年以上経った今、この考えはたぶんそう間違ってなかったかな、と思っています。今のところ。

モテたい・褒められたい、を基準に選ばれていたファッションは、今やもうダサくて、オタクであることや、何かをこじらせていることは恥じるべきことでは無くなってきた。SNSのような自己発信ツールが充実した時代の中では、むしろそういった好きなものや自意識を積極的に公言していくことこそ、逆にカッコイイし、ブレてない、という一種のステータスとなっているのかもしれません。

そういう時代を踏まえた的確なコンセプトとして、今あらためてシティボーイが見直されていて、それを提案する雑誌のひとつがPOPEYEなのかと。


シティガールの台頭



そんなPOPEYEが定着させたシティボーイ・ファッションは、男性の中だけにとどまりません。今年に入り特に感じるのが、「シティガールの台頭」です。

女性こそ、いかに男ウケするか!モテるか!みたいなのが長いこと論争されてきたわけだけど、もうそういうのダサいよ、という流れになってきているのは、下記の記事でも指摘されています。かつこの記事に100以上のはてブがついていることからも、現代において「モテ」を語ることに疑問を投げかける言説が盛り上がってきていることは、それなりに顕著なのではないかと思います。

参考:そろそろ「モテ」とか言ってる女子はヤバい | None.

(蛇足:しかし「女子力」とか「モテ」って言葉も、女性自身から「胡散臭い、うざい」と一方的に否定的な言われ方をするようになっていて、これもどうかと思うんですが、その話は長くなるのでまた今度。)


最近になって女性のファッションも、モテとかフェミニンとか気にせず、「自分がほんとうにすきなものを周りの目など気にせず貫くことが本当の魅力」みたいな視点で語られるようになってきた。そういう世界では、「女子の型にはまらない」、「人と違った独特のオーラを持つ」ということがステータスになっていて、これはシティボーイの兆候と同じだと思います。

が、それも行き過ぎると、昨今よく耳にするようになった「オヤジ女子」とか、「甘いカクテルじゃなくてビールや焼酎飲むんです私」みたいな型に自らハマろうとして、ちょっと本末転倒な現象が起こったりもするんですけどね。

(蛇足:内容こそ違うけど、これ完全に一昔前の「自称天然系」とか「サバサバ女子」と同じことですよね。このへんも長くなりそうなのでまた今度。)


その一方で、女の子はいつでも、ファッションモデルのような「あこがれの女の子」を自分の中で設定していて、その子を参考にファッションやライフスタイルを磨くことに余念がなかったりします。「〇〇ちゃんに雰囲気似てるよね~」と、あこがれのあの子に自分が似ていると言われることに、この上ない喜びを感じたり。
具体的な対象として、自分が目指すべきスタイルがあるので、ライフスタイルにおいて「他人を基準にする」ことの動機が、男性と比較してより顕著な部分はあるように思います。

だから皮肉なことに、他には無い独特の個性に自己を見出そうとしたのに、その点で既に突出していたカリスマモデルをみんながみんな真似するようになるもんで、結局同じようなニット帽にニューバランスのスニーカーを着こなす女子が大量に街中を闊歩するようになるという。

(あれ、でもこれ男性でも同じなのかな?)


シティガール&ボーイの葛藤と希望

「自分は他とは違う」という理想は、何故かいつも、どうあがいたって幻想になってしまうし、周りからどう見られるか、ってのは表向きでは気にしないフリはできても内心どうしたって考えちゃう。

でも、もしみんながみんな「自分は他とは違うし、他人にどう思われようと知らないわ」なんて思ってたら、それはそれで寂しいもんです。みんな同じ社会にいるのに、互いに無関心でいる、なんて悲しいじゃないですか。
で、実際はそうじゃないからこの世には、味わい深い人間模様やくだらない交流が生まれて、ダサくて情けなくても何だか笑えるし、明日も生きようかな、って前向けたりするんじゃないかな、と思うのですけどね。


そうしてファッションでも聴く音楽でも読む本でも、「独自の個性」を追求しながらいろいろ試行錯誤して突っ張ってみたりする中で、同じSupremeのキャップにニューバランスのスニーカーを履いた相手と出くわしてしまったら、互いに顔を見合わせて、「あっ、かぶっちゃったね、へへ」とはにかみながら、「今度、友達がやってる代々木のカレー屋に一緒に行こうよ」と言えた時こそ、本当の楽しさと愛しさと幸福さがやってくると、わりと真剣に思っていたりする。



と、そんな感じでだいぶ大きな話になってしまいましたが、
シティボーイに関する考察としては、以下の記事がおもしろく、参考になりましたよー。




あと数年後、森ガールでもなく山ガールでもなくシティガールでもなく、どんな新しい「ガール」が誕生していくのかも、楽しみですな。


かしこ。