そう、引っ越したのです。思いの外、苦戦しました。
部屋が散らかると、こころもあたまも散らかるものですね。
写真は引っ越す前、近くのスターバックスでこころを落ち着けた時。
うーん。今思い返しても、かなり立地の良いところに住んでいたものだ、まったく。
新しい家は、以前住んでいたところとそう遠くはないのだけれど、
ずいぶん閑静な住宅街になりまして、小さい子供たちがわあわあ言っているような場所です。
スターバックスなんぞ家から徒歩20分圏です。とおい。
最寄りのコンビニだって、徒歩10分くらい。あらら。
前と比べたら不便っちゃー不便。
というか、むしろ実家なんか駅まで徒歩50分だったし
それこそ駅周辺にスタバもマックも何もなかったわけだし、
なに東京暮らし気取って、贅沢に調子こいてんだじぶんハゲ、という具合に
前が便利すぎたんだなと反省しました。
で、無印良品も以前は徒歩5分だったのが、自転車10分になってしまったことの負け惜しみとして、
今の家に越してして思った、「いい暮らし」というものを、たらたらと綴ってみようと思います。
まだ住み始めて1週間もしてないですが、
案外わるくはないかもな、と感じたのは負け惜しみかもしれませんが嘘でもありませんよう。
『あそぶ場所と暮らす場所の住み分け。』
前は土日ともなればわざわざ人が遊びに来るような場所に家がありました。
そのため家にいても、ふと思いついたように買い物したり誰かと飲みに行ったりしたものです。
スタバでもタリーズでも日高屋でもなんでもありました。
そりゃ何だか家にいちゃもったいないような気がいつもして、
無駄にどこか出かけようとしては、毎日「おでかけ」するように暮らしていました。
とても楽しかったです。
けれども、「じっくりと暮らしを味わう」ということができていなかったように思います。
外に出れば魅力的なモノゴトがあふれていて、見渡せばすてきなヒトだらけで、
いろんな憧れを一気に吸収しては、じぶんも背伸びしてふさわしいような町民を気取っていました。
すると、あらためて「落ち着いてじっくり時を過ごす」ことがほとんどできなくて、
そんなことをしているのが無駄なように思えてしまって、
何だかいつも心が忙しなかったです。
今、でかけるにもある程度時間と労力が必要で、
一度でかけたら、すぐに家に戻ることはできない、と考えたら、
「でかけるならいったん家でやるべきことをじっくり済ませてからにしよう」と思うわけです。
すると、今までは「あとで帰ったらすぐやる」と言いつつ後回しにしてきたことを
きちんとやる時間を、自然と取るようになりました。
たとえばブログ書いたり、本を読んだり、やり残した仕事をしたり、手帳を開いてみたり。
買いっぱなしだったお香やアロマを焚くとか、
借りっぱなしだったビートルズを改めて聴くとか、
積ん読の本や雑誌を手にしたり、
ゆっくりPCであそんでみたり、
手紙を書いたり、撮り溜めた写真を整理したり。
そんな何気ない暮らしのひとコマが、なんだかとても気持ちを穏やかにしてくれますな。
なんで今まで気付かなかったんだろう、というような、
芯からほっこりする時間の使い方を、あらためて知ったように思います。
どうやら私はオサレカフェでお茶をしていても、
ほんとうの意味で心を落ち着けられない質のようです。
おしゃれなところは自分に不釣り合いな感じがしてあわあわするし、
一杯600円のコーヒーを飲むには、まだ歳相応じゃないかな、とか。
この引越しをとおして、
そんな、自分という人間と改めてじっくり向き合い、
地に足の付いた暮らし、ってものを、
もう一度、発掘していく良い機会になったかもしれませぬ。
なんて思ったよ、てへぺろ。
かしこ