2012年3月3日土曜日

パスタ屋をやめました。


我が青春の舞台、パスタ屋のお仕事を2月いっぱいで引退いたしました。
3年半でした。自分らしくいられる、数少ない場所でした。
やめてしまってからは、何だか生活にぽっかり穴が空いたような気持ちがしています。

忘れないうちに、あのパスタ屋と、自分と、あの時と今の気持ちを書き留めておこうと思います。
長いです。そして自己満足の愛を叫びます。どうかご勘弁を。



これから何を憩いの場にして生きていこうか。
次はいつ顔がくちゃくちゃになるくらい笑うのか。
そんなことをぽーっと考えては、心がひゅーっとするのだから、
私は自分が思っていた以上に、あのパスタ屋での日々が生活の中心になっていたんだな、と実感しました。

けれど、それももう卒業。新しく巣立っていかなければならないのです。


とはいえ、本当に腹の立つことも理不尽なことも、悲しくて消えたくなったこともたくさんありました。
いつ辞めてやろうかと、どうでもいいと、何度思ったことか。
うれしいことも嫌なことも、一緒にどろどろぐちゃぐちゃ味わったから、
ある意味私がいちばん感情的で、人間くさくなれた場所だったかもしれません。


私は感情表現が苦手です。
死ぬほどうれしくても、冷静ぶって何てことないふりしたり、
悲しくて悔しくても、へらへら笑って流します。
大人でいたいと、情けない姿など見せたくないと、
いつも傍観者を気取って、何事にも参加できていませんでした。

本当は、もっと感じたままに全部吐き出して、
何かの中心で、くだらない言い争いや、あほらしい茶番をし、
妙ちくりんでも、何だか愉快なやりとりを楽しんでみたかったです。
もっと人をすきになりたかったです。

そんなわけで、何だか毎度、「独特な別世界の人間」のように思われることも多々。
興味を抱かれるも、特に近寄られず、自分もむやみに人に近づこうとしませんでした。
それでもいいんだと言い聞かせながらも、
ただ単に不器用であまのじゃくな自分は好きではなかったです。



だけど、「丘の上の大樹みたいだ」と、パスタ屋の師匠に言われた時、
私は初めて、自分という人間がちゃんとどこかに存在できていたんだと思えました。
パスタ屋の人たちは、私を変な人間扱いしました。
でも、別格扱いはしませんでした。
「なんか変だけど、おもしろいからいいじゃん」という具合に、
くせのあるところを問い詰めて、変に種類分けすることもなく、
そういう奴だとして、そのままそこにいることを許して、とにかくテキトーに接してくれました。
「なんだこの適当さは。なぜこんな居心地がいいんだ。」
そう思ってから、いつの間にか私も「開花」したようです。

まあ実際、パスタ屋の人たちは私なんて目じゃないくらいにくせのある人だらけでした。
そして世間のくだらない習わしや、正しいとされている枠組みを、
豪快に蹴散らし、ただ自分が思うままに、
くだらない人生をこれでもかというくらい楽しみつくそうとする人たちでした。
どっかの未来の名誉や利益など、どうでもよくて、
ただ、人間という生き物として、今を素直におかしく生きるのでした。
これぞあるべき姿だ、と尊敬したものです。


何も考えてないような、テキトーな人たちに見えつつも、
実は見えない所ですっごい誰かのことや社会のことを考えているのも、よくわかりました。
あれだけへらへら楽しそうでいられるのは、
その裏にものすごい葛藤と忍耐と配慮ができる、こころとあたまの良さがあったからだと思うのです。
そういう器の大きさや、あたまの良いばかになるということを教えてもらったのは、
パスタ屋の人たちからでした。


たぶん、パスタ屋の人たちの生き方は、
世間一般的に正解ではないかもしれません。
あたまの良いどころか、ただのばかと言われかねないかもしれません。
でも、私は私の人生を生きて、これが自分にとって心地よい歩み方だ、と思ったのです。
このあたり、誰かにとやかく言われる筋合いは無くて、
あえてぶーぶー言う人も特にいないと思います。
自分の人生を生きるのは、自分なのだし。


ふと思ったけど、生きながらに悩むことって、
今の自分のままでいる覚悟をするか、しないかなのかな、と。

だいたいそのまま自分でいようとするには、世の中は生きにくいものです。
けど、かっこわるくもがいて涙鼻水だらだら流しながら
試して考えて、あきらめて、また考えたりなんだりして、
ようやく、どうにか自分でいられる隙間を発見して、
思い切ってどーんと隙間に頭を突っ込む、と。
なんだこんなところに楽な居場所があったのね、と。
覚悟決めて自分でいるために足掻いたら、
その先に自分のままで適当にいられる糸口を見つけられるのかなー。
とはいえ、まだ22そこらの若造の考える事なので、
実際よくわからないけどね。


まあそんなこんなで、自分でいることが楽に感じられて、
相変わらず感情を出すことは苦手でも、
そんな私なりの感情表現ってものをたぶん理解してくれてて、
本当に素直でいられる数少ない場所となりました。
大嫌いだと思ったり、腹筋壊れるほど笑ったり、結局どうしても、大好きでした。



でも、いつまでも、ここにいるわけにはいかないし、
ある意味私はここに甘えてしまっていたと思います。
これからは、また新しく、自分という人間の活かし方を見つけていくために、
巣立っていかなければならないと思っています。
パスタ屋で教えてもらったことは計り知れなくて、
きっとこれからの長い人生で、私の生きていく上での核となっていくでしょう。
大切すぎるパスタ屋での日々は、こころに消えず死ぬまでずっと持っていたいです。
パスタ屋のことを思い励み、たまに寄りどころとしながら、
私は私の日々をまた新しく、過ごしていくのです。


本当にありがとう、と言いたい。
気持ち悪いくらいに愛を語ってしまいました。
こんなに自分が熱心に何かを好きになっていたんだと、
ちょっと自分でもびっくりするほどです。
そういう気恥ずかしい人間くさい自分を見つけられて、よかったです。

とはいえ、これで永遠の別れってわけじゃないから、
また、すこし疲れてしまったら、頼らせてくれ。
じゃ、また。


かしこ。