雑誌ってすごいな、って、思います。最近改めて。
今じゃインターネットのあちらこちらにおもしろい情報が落っこちているけど、
どんなにおもしろいWebメディアにも勝てない魅力が、雑誌にはあります。
もちろんWebはWebで、雑誌は雑誌で、それぞれ違った魅力があるものだけれど。
雑誌って、基本的にブレがないと思っています。
いつも安定して、私が興味があるテーマをびしっと当ててきて、盛りだくさん届けてくれる。
もちろん、自分がどんな情報が欲しいのかという前提ありきで
雑誌を選んでいるからってのもあるかもしれないけど、
それでも毎回一貫したテーマでありつつ、飽きさせず、自分も安心して読める。すごいです。
とはいえ、ブレるというか、テーマを一新して今までとは全く違う打ち出し方をする雑誌もある。
たとえば私が経験したのは、CUTiEという雑誌。
あれは私が高校生の頃だったでしょうか。
CUTiEっていえば、奇抜なファッションが目を引いたものです。
いわゆる「古着系」、「裏原系」とか言われるジャンルで、
服の色も柄も着崩し方も、化粧も眉毛も髪の毛もほんとう自由。
白装束みたいなものから、ゴリゴリ民族系、どこぞのパーティーかってものから
アメカジがもっとぶっ飛んだものとか、黒ずくめ、ロック、ガーリー、エトセトラ・・・
うまく言えないけど、ジャンル的には、FRUiTSとかがそれっぽいかも。
FRUiTSに出てて、CUTiEにも出てる人とかも、いた気がする。
(まだFRUiTSってあるんですかね?最近見てないなあ)
いかに自分というキャンバス上で、他とは違う個性を表現するか、に
情熱を持った女の子たちの、いわば作品が詰まった雑誌だったかと思います。
しかし私はどちらかというとZipper派でした。
CUTiEかZipperかといえば、Zipperの方が親しみやすさがあると思っていたからです。
(今思えばどっちもどっちかもしれぬ)
が、しかし。
高校の帰りに近くの本屋で久々にCUTiEを手にとったら、わーびっくり。
あのゴリゴリ系の要素がだいぶ薄まって、というかほぼ皆無で、
なんというのでしょうか、普通に女の子らしいファッション雑誌、って感じになっていました。
そして今や、ローラとか大島優子とかまゆゆが表紙になっていらっしゃるんですよ。わーびっくり。
私が知ってる頃のCUTiEでは、
彼女のような子たちが表紙になるなんて、想像もできませんでした。
確かに、CUTiEは今の形になったほうが、ニーズはあったのかもしれません。
今の若い女子高生、女子大生が着るには良い具合にかわいい感じです。
ただ、個人的にはCUTiEといえば
どこぞのエスキモーの服を借りてきたんですか、っていうような不思議な服を着て、
誰かに「ウケる」ことを一切気にせず、自分の好きなものを着て、
少数でもそれを「いいね」って言ってくれる友だちとまた原宿を闊歩する、っていう
そういう人たちのための雑誌だった時のCUTiEが、嫌いじゃなかったです。
でも、時代の流れなのですかね。
どこぞのエスキモー(あくまで一例)的なファッションは、
現代ではあまりにも市場が小さくなりすぎてしまったのか、
「わかってくれる人にだけわかればいい」では済まなくなったのか、
どういう意図で変わったのか詳しくはわかりません。
私も勝手なことをほざいていますが、
CUTiE的にも何かしら思うところがあったのだと思います。
(ちなみにZipperはわりと相変わらずな感じで安心しました。)
で、ちょーイケメン雑誌「POPEYE」。
ちょっと前に気になっていて今月初めて買ってみました。
男のこだわりあふれたファッション、ライフスタイルが詰まった魅力的なものでした。
ダンディズム。
昔からわりと、メンズ雑誌もよく読むほうでした。
男の人のファッションって、サイズ感とかバランスとか、使う色の組み合わせとか材質とか
そういう細やかなところがすごくきれいだったりするので、とても参考になるのです。
シンプルだけどおしゃれ、見れば見るほど味わい深いおしゃれ、
っていうのは、女の人より男の人のほうが上手い気がします。
そんなわけで「POPEYEやべーちょーやべー」とか言ってたわけですが、
このPOPEYEも、つい最近リニューアルをしたと言うじゃないですか。
以下参照。
「メンズノンノを仮想ライバル視するファッション雑誌だった」というPOPEYE。
1990年代のはじめ頃、バブル崩壊の直前の当時、
昔はどうやったらモテるかとかデートの誘い方とか、
そういう話ばっかり載っていたらしい。
へー、最近にわかPOPEYEファンになった私としては信じられぬ。
今、「シティボーイのための雑誌」というコンセプトで打ち出しているようですが、
これはそもそものPOPEYE創刊当時の原点回帰ともいえる、とのこと。
アメリカ西海岸のライフスタイルを日本に紹介する、と。
上記記事によると、シティボーイとは私の知っているところだと、
YMOとかタモリとか岡本太郎、小沢健二とかだそう。ふーむ。
これからの時代はシティボーイだと、ふーむ。
何かよくわからないけど、とりあえず落ち着いた大人の粋でオシャレでダンディな雑誌
というくらいの理解力ですみません。
ってこともあり、昔はイケてると思ったのに今じゃ・・・とか
昔はチャラかったけど、今はかっちょええ!とか
どっちにしろ雑誌のテイストの変化というのは、案外普通にあることで、
これは自然なことなのかもしれない。
冒頭で私が申した、「雑誌はブレがない」ということも、
ずっと死ぬまで一貫している、というよりは、
「ある時代の区切りの中ではブレがない」と言った方が正確かもしれません。
つまり、時代が変われば、雑誌もそれに合わせて軸を変え、
そして読まれる読者層ともごっそり変えて、そしてまた魅了していく。
また読者である私自身、生きている時代の変化に合わせて、
好む雑誌も変えてきたわけですし。
雑誌と自分の関係は、意外と浮気なところがあったりして。
自分自身、もはやリニューアル前後どっちにしろ、CUTiEは読んでいないし、
ZipperもFRUiTSも読まなくなったし、
その後好きになっては、見向きもしなくなってしまった雑誌も数々。
それは自分も、かっこよく言うと変化しているわけで。いや、退化しているかもしれないし。
まあどちらにせよ、何か本当に核となるものもあるかもしれないけど、
案外ずっと一貫性があるってことはなくって、わりとミーハーなもんです。
つまり、一口にポパイといっても、時代によって雑誌の性格はまったく異なるわけで、あるいは、雑誌の性質が次の時代を準備するといってもいいのだけれど、どっちが先かはよく分からないのだが、何が言いたいかというと、今回のポパイのリニューアルは、何度目かの時代の変わり目にあたる時期での"変身"なのだと云うことである。(引用元: 「ポパイ」のリニューアルで考える時代の変化----シティボーイは復活するのか、ホントに)
なるほど、と思いました。
雑誌はいつだって、その時代を表しているのかもしれません。
もしくは時代の移り変わりをいち早く察知して、新たなコンセプトと共に新たな時代を提案しているのかもしれません。
そういう意味では、今の時代を理解するのに雑誌はとても良い教科書です。
そして、自分自身が好む雑誌というものを俯瞰してみると、
移りゆく今の時代を、自分が如何様に生き抜こうとしているのか、
どんな生き方を選択しようとしているのか、どうありたいと感じているのか、
が見えてくる、かも。
雑誌を通して多様な生き方を提示してもらうことで、
人はそれぞれ自分が心地よく感じる生き方を選び、散り散りに多様化し、絶対の信頼を持つ。
(生き方っつーと大げさだけど、要はどんな服を着るかとか何を食べるか、読むか、聴くか、ということ)
ひとつの媒体につくファン層というのは、マス的に大規模なものもあれば、
非常にマイノリティなものもある。
ただ数が少ないからといって、マイノリティは必要ないことはなくて
それはそれで、誰かの心の支えになっているはずなので、
マス風の派手なことはできなくても、
独自のライフサイクルで持続可能なものにはなると思う。
多数派と少数派という対立軸に置くのはナンセンスですので気をつけたいですが。
とりあえず、AKB48も在日ファンクもビートルズも渋さ知らズも何でもいいけど、
メジャー/マイノリティーとかではなくて、それぞれ一定の大事なファンがいるだろうから、
それぞれのやり方で存在意義を発揮して、独自のコミュニティで楽しみ続けて、
それぞれの見える距離の幸せを掴んでいければいいですね。
そうすりゃ世界は回るんじゃないかと、また勝手なことを思っていますよ。
好きな雑誌を、好きなように読み、
飽きたらまた次を探せばよい!以上。
かしこ